アセアンの私見-2
投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2004/08/01 11:26 投稿番号: [1225 / 1982]
[批判的精神]
これはこうした第三世界で外国人が活動する場合は確実に
『百害あって一利なし』
だと考えます。
ただ、これも「何でもかんでも地元の人達の考え方や方法を肯定すべき」
という意味でもありません。
”例え話の弊害”には注意を払う必要があるのですが
地元の人達が理解出来る”具体的な例”を使用して、一つ一つ
理解度を高めて行く・・そういった姿勢が必要だと考えます。
更に、いわゆる欧米型の理屈をそんまま適応させること自体
全く不可能ですんで「純粋なテクニック」として彼らの文化や慣習と
切り離す部分は切り離す必要がありますし、融合させた方が
良い場合は、彼らのそうした文化の中に無理なく「埋め込める形」に
変形させる、という作業も必要になります。
更に、こうした第三世界での活動では(これも何度か書いていますが)
「点での活動」は波及効果を先ず100%発生させることは不可能
なのが実情です。
特にいわゆる「自己満足型の活動」は往々にして
新しい形の提供者と非提供者という関係を生んでしまい、
そこに居住する人達の”自立自走”に繋がらない場合が多い
っと断言しても過言ではありません。
又「超絶なダブルスタンダード」は第三世界の場合、極々当り前の
ことですし、全ての部分での明確な差別意識も当り前に存在します。
これは欧米型の理念や理屈で「変更や改善出来る」レベルの
ものでは決してありませんし、それで出来ているなら当の昔に
第三世界の政治体制は変更されているはずです。
では何で、そうした意識や根強い観念を変更して行くか?
それは「目に見える具体的な実績」でしか不可能だ、ということも
理解する必要があると思います。
例えそれが「規模は小さくても」、完結型ではない
開放型のネットワークを持った構造の中であれば、確実に
様々なモノが連鎖的に変更されて行く、それがこうした第三世界の特徴
でもあると言うことです。
これは メッセージ 1223 (asean_peace11 さん)への返信です.
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