イラク復興の責任と義務と権利
投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2004/07/19 18:24 投稿番号: [1081 / 1982]
僕は、原則的にはイラク復興(再建)に関する責任と義務と権利は
イラク人自身にあるだろうと考えている訳です。
ただ、長年に渡る’統治者’と’非統治者’という社会的な役割分担
(これにイスラム教の教義が重なってもいるのですが)の結果
”個々が’その責任と義務と権利を自覚して’”
という考え方や行動様式に慣れていない為に、そうした考え方や行動’方法’
を知らない・・と理解している訳です。
更に、歴史的な(文明の発祥地的な)遺産に対する認識は
”現在”を生きているイラクの一般的な人達には本質的に関係の無い
話で、そうした歴史の長さに対する’敬意’と自分達への敬意を払う行為
は必ずしもリンクしないのも事実だと考えます(前にも書いていますが)
確かに米国によるイラク攻撃は、イラク人が’依頼した訳ではない’
のでその行為に対する責任は米国なりにあるとは考えますが
米国がそのイラク攻撃の結果(フセイン政権打倒等)生じるであろう
様々な事柄に”何処迄’義務’を追うべきか?”を明確に
理解していたか?・・という意味では少々甘さがあった
(理解不足や誤解等が重なって)のも否定は出来ないだろうと考えています。
ただ(僕も含めて)イラクの人々も”過去に生きている訳ではない”
ので「今日、明日・・更にはもっと先の自分達の将来」の中に
自分達の人生(生活)があるのも確かな訳です。
では、”どうすることがより自分の(自分達)の人生(生活)を良くする
ことが出来るのか?”を真剣に考えて模索を始めなくてはならない
そうした所に現在差し掛かっているのも事実です。
しかし、ここで欧米や日本では全く考えられない実情がある訳ですが
前に人間のキャパシティでも書いたように、こうした第三世界の
非統治側に居る人達が持つキャパシティは非常に”狭く、小さい”
という現実を如何にして彼ら自身が「広げて行くか?又は行けるのか?」を
冷静に見極めた上で彼ら自身が行動を起こす必要がありますし、
支援をしようと考える国際社会もそうでなくてはならないと思います。
実際、例のレストランでも当初50歳以上の地元の人間は全て、
「お店”さえ”開けば商売が成り立つ」
と考えていましたし
そういう考え方の人達に「競合店との競争方法」とか
「リピーターを捕まえてそれを維持拡大する為の方法」等は
どんなに専門用語を使わずに説明しても帰ってくる反応は
「面倒くさい、そんなものいらない」というものばかりだったのも事実です。
(実際、そうしたセリフを口に出してはっきり言いますね)
こうした反応に真っ先に反感を抱くのは実は僕らではなく
地元の30台、40台の人間であることも確かです。
そして、そうした人達程(若干、過激なんですが)『自分(達)がやるっ、
誰の助けもいらん!』的な考え方を持っていることも事実です。
(3人共同経営者の奥さん方は全員30台です)
振り返って、イラク(中東)も同様の傾向があって、例え
高学歴でなくても”現行の状況に疑問を感じて且その状況から
抜け出したい”と’感じている人間’はそうした年代に此処と同様に
多く見られるのも事実です。
こういう思考(志向)を持っている人達には、実務を通してと同時に
知識的なことを伝えるのはそう難しいことではありません。
(頑固ではありますが、次第に聞く耳を持つことに慣れてくる
イコール聞くことによって自分にメリットがあることを気が付く、
のも、こうした傾向にある人間には共通しています)
更に、こうした人達は「家族(一族)を養う責任感」は
人一倍強いのも事実です(面倒くさいと言う人間に限って、
責任感のかけらも無いのも又事実ですが)
後は、その責任を”果たし続ける義務”とその
”義務を果たすことで生じる様々な権利”の認識は
彼らにとっては未知の領域であることが多いのも事実です。
なぜなら、これ迄と同じ認識からすると「責任と義務を持った人間は、
その恩恵を受ける人間に対して指示や命令を与える
(統治者的な)権利を持つ」と簡単に理解してしまうからです。
前にも書きましたが
『社会に貢献する』、『社会へ還元する』という概念は非常に高尚な
概念なので、個人が持つ責任と義務と権利は個人だけのものではなく
家庭や一族を通じて、広く社会全般更には新生イラク全体に渡って
関係を及ぼす重要な要素であることを理解する(ゴクンと飲み込む)
には、そう短時間でなるものではないことを今回の
イラクに関係した国際社会はしっかりと理解すべきではないか?
と僕は考えています。
取敢えず
イラク人自身にあるだろうと考えている訳です。
ただ、長年に渡る’統治者’と’非統治者’という社会的な役割分担
(これにイスラム教の教義が重なってもいるのですが)の結果
”個々が’その責任と義務と権利を自覚して’”
という考え方や行動様式に慣れていない為に、そうした考え方や行動’方法’
を知らない・・と理解している訳です。
更に、歴史的な(文明の発祥地的な)遺産に対する認識は
”現在”を生きているイラクの一般的な人達には本質的に関係の無い
話で、そうした歴史の長さに対する’敬意’と自分達への敬意を払う行為
は必ずしもリンクしないのも事実だと考えます(前にも書いていますが)
確かに米国によるイラク攻撃は、イラク人が’依頼した訳ではない’
のでその行為に対する責任は米国なりにあるとは考えますが
米国がそのイラク攻撃の結果(フセイン政権打倒等)生じるであろう
様々な事柄に”何処迄’義務’を追うべきか?”を明確に
理解していたか?・・という意味では少々甘さがあった
(理解不足や誤解等が重なって)のも否定は出来ないだろうと考えています。
ただ(僕も含めて)イラクの人々も”過去に生きている訳ではない”
ので「今日、明日・・更にはもっと先の自分達の将来」の中に
自分達の人生(生活)があるのも確かな訳です。
では、”どうすることがより自分の(自分達)の人生(生活)を良くする
ことが出来るのか?”を真剣に考えて模索を始めなくてはならない
そうした所に現在差し掛かっているのも事実です。
しかし、ここで欧米や日本では全く考えられない実情がある訳ですが
前に人間のキャパシティでも書いたように、こうした第三世界の
非統治側に居る人達が持つキャパシティは非常に”狭く、小さい”
という現実を如何にして彼ら自身が「広げて行くか?又は行けるのか?」を
冷静に見極めた上で彼ら自身が行動を起こす必要がありますし、
支援をしようと考える国際社会もそうでなくてはならないと思います。
実際、例のレストランでも当初50歳以上の地元の人間は全て、
「お店”さえ”開けば商売が成り立つ」
と考えていましたし
そういう考え方の人達に「競合店との競争方法」とか
「リピーターを捕まえてそれを維持拡大する為の方法」等は
どんなに専門用語を使わずに説明しても帰ってくる反応は
「面倒くさい、そんなものいらない」というものばかりだったのも事実です。
(実際、そうしたセリフを口に出してはっきり言いますね)
こうした反応に真っ先に反感を抱くのは実は僕らではなく
地元の30台、40台の人間であることも確かです。
そして、そうした人達程(若干、過激なんですが)『自分(達)がやるっ、
誰の助けもいらん!』的な考え方を持っていることも事実です。
(3人共同経営者の奥さん方は全員30台です)
振り返って、イラク(中東)も同様の傾向があって、例え
高学歴でなくても”現行の状況に疑問を感じて且その状況から
抜け出したい”と’感じている人間’はそうした年代に此処と同様に
多く見られるのも事実です。
こういう思考(志向)を持っている人達には、実務を通してと同時に
知識的なことを伝えるのはそう難しいことではありません。
(頑固ではありますが、次第に聞く耳を持つことに慣れてくる
イコール聞くことによって自分にメリットがあることを気が付く、
のも、こうした傾向にある人間には共通しています)
更に、こうした人達は「家族(一族)を養う責任感」は
人一倍強いのも事実です(面倒くさいと言う人間に限って、
責任感のかけらも無いのも又事実ですが)
後は、その責任を”果たし続ける義務”とその
”義務を果たすことで生じる様々な権利”の認識は
彼らにとっては未知の領域であることが多いのも事実です。
なぜなら、これ迄と同じ認識からすると「責任と義務を持った人間は、
その恩恵を受ける人間に対して指示や命令を与える
(統治者的な)権利を持つ」と簡単に理解してしまうからです。
前にも書きましたが
『社会に貢献する』、『社会へ還元する』という概念は非常に高尚な
概念なので、個人が持つ責任と義務と権利は個人だけのものではなく
家庭や一族を通じて、広く社会全般更には新生イラク全体に渡って
関係を及ぼす重要な要素であることを理解する(ゴクンと飲み込む)
には、そう短時間でなるものではないことを今回の
イラクに関係した国際社会はしっかりと理解すべきではないか?
と僕は考えています。
取敢えず
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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