学生運動と、『二十歳の原点』
投稿者: battamama 投稿日時: 2005/03/23 21:53 投稿番号: [378 / 1657]
私は学生運動に憧れていた。
いや、私がというより、学生運動で闘う大学生の男性に憧れていたというほうが正確だ。
しかし、私が大学時代に入った頃は、学生運動など姿形も無かった。
60年安保時、東大生が安田講堂から火炎瓶を投げたり、ゲバ棒で警察と衝突する姿をテレビのニュースで見て、これから日本はどうなっていくのだろうかと、幼いながらも暗澹としていたことを想い出す。
それから随分経って、浅間山荘事件が起こった。犯人である大学生同士の残忍極まりないリンチによる殺害が当時話題になった。
その中のボス的存在だったのが、永田洋子という女性。残忍極まりない処置は、彼女が主に指示していたと言われていた。
この一連の事件は、私の中に眠る残忍さと闘争心を駆り立てた。
その頃からだろうか、学生運動に憧れだしたのは。
いや、別に特別のイデオロギーが有ったわけではない。ただ、その思想的闘争と、激しさに憧れていたに過ぎない。単なる、乙女のロマンチシズムだろう。
大學に入って、友人を通じて知った『二十歳の原点』。
60年安保で、警察との衝突の犠牲となって死んだ、当時東大のカリスマ的学生運動家 華美智子(かんばみちこ)。
高野悦子が最も影響を受けた、奥公平という青年は、高校2年の頃、樺美智子の死に影響を受け安保闘争に参加する。横浜国大入学後はマルクス主義学生同盟中核派の活動家として活発に闘争に加わる。
彼も大学2年生の時服、毒自殺を図って亡くなっている。
その後、遺族が彼がつけていた日記と、友人などに宛てた手紙を一冊の本にまとめたのが『青春の墓標』。
この本も『二十歳の原点』と同時期に読んだ。
今日、大學の卒業式だった。
今の大学生には、学生運動というものはあまりにもそぐわない。
携帯電話片手に、アーダコーダと打ち興じている。
パスカルは、人は考える葦だと言った。
ただ与えられる情報を記憶し、暗記するだけの勉強。
安穏とした日常。
そんな中から、思考や思想などといったものは、育つのだろうか?
それとも、平和なんだからいいじゃない。
多くの人は、そう言うだろうか?
豊かさや、平和は、一体人間に何をもたらすのだろうか?
※華美智子の国民葬(昭和35年6月)
安保反対デモで死亡した華美智子を悼む国民葬が、6月24日、日比谷公会堂と野外音楽堂で行なわれた。舞台中央には、白菊の花で飾られた平和のハトが置かれ、その後ろに遺影が飾られた。式はショパンの「葬送曲」演奏で始められ、社会党書記長らの弔辞の後、「忘れまい6.15」を全員が誓った。参加者は献花のあと、遺影を先頭に衆議院南通用門まで追悼デモを行なった。
いや、私がというより、学生運動で闘う大学生の男性に憧れていたというほうが正確だ。
しかし、私が大学時代に入った頃は、学生運動など姿形も無かった。
60年安保時、東大生が安田講堂から火炎瓶を投げたり、ゲバ棒で警察と衝突する姿をテレビのニュースで見て、これから日本はどうなっていくのだろうかと、幼いながらも暗澹としていたことを想い出す。
それから随分経って、浅間山荘事件が起こった。犯人である大学生同士の残忍極まりないリンチによる殺害が当時話題になった。
その中のボス的存在だったのが、永田洋子という女性。残忍極まりない処置は、彼女が主に指示していたと言われていた。
この一連の事件は、私の中に眠る残忍さと闘争心を駆り立てた。
その頃からだろうか、学生運動に憧れだしたのは。
いや、別に特別のイデオロギーが有ったわけではない。ただ、その思想的闘争と、激しさに憧れていたに過ぎない。単なる、乙女のロマンチシズムだろう。
大學に入って、友人を通じて知った『二十歳の原点』。
60年安保で、警察との衝突の犠牲となって死んだ、当時東大のカリスマ的学生運動家 華美智子(かんばみちこ)。
高野悦子が最も影響を受けた、奥公平という青年は、高校2年の頃、樺美智子の死に影響を受け安保闘争に参加する。横浜国大入学後はマルクス主義学生同盟中核派の活動家として活発に闘争に加わる。
彼も大学2年生の時服、毒自殺を図って亡くなっている。
その後、遺族が彼がつけていた日記と、友人などに宛てた手紙を一冊の本にまとめたのが『青春の墓標』。
この本も『二十歳の原点』と同時期に読んだ。
今日、大學の卒業式だった。
今の大学生には、学生運動というものはあまりにもそぐわない。
携帯電話片手に、アーダコーダと打ち興じている。
パスカルは、人は考える葦だと言った。
ただ与えられる情報を記憶し、暗記するだけの勉強。
安穏とした日常。
そんな中から、思考や思想などといったものは、育つのだろうか?
それとも、平和なんだからいいじゃない。
多くの人は、そう言うだろうか?
豊かさや、平和は、一体人間に何をもたらすのだろうか?
※華美智子の国民葬(昭和35年6月)
安保反対デモで死亡した華美智子を悼む国民葬が、6月24日、日比谷公会堂と野外音楽堂で行なわれた。舞台中央には、白菊の花で飾られた平和のハトが置かれ、その後ろに遺影が飾られた。式はショパンの「葬送曲」演奏で始められ、社会党書記長らの弔辞の後、「忘れまい6.15」を全員が誓った。参加者は献花のあと、遺影を先頭に衆議院南通用門まで追悼デモを行なった。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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