「日本人である私」への覚醒
投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/15 22:09 投稿番号: [1192 / 1657]
「故郷は遠きにありて思うもの」
という室生犀星の詩がある。
故郷を愛したり国を愛する気持ちは意識下にはあっても、通常ではさほど意識するものではない。
異郷の地に行って初めて、「郷愁」として浮上する思いではないだろうか。
海外に移住したり留学した人は、日本に居るときより、より自分が日本人であるという認識を持つという。周囲が、文化も姿形も言語も異なる外国人であれば、相対的にそうなる。
そんな中にあって、初めて日本という国と、日本人である自分が客観的に見えてくる。日本への愛国心を実感するのはこんな時ではないだろうか?
本来、故郷を愛し、国を愛することは麗しいことだ。
その美しい感情を政治が利用する時、「愛国心」は「脅威」に変わる。
浅羽通明著の「ナショナリズム」の中に以下のような文章がある。
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パトリオティズムは何時の時代にもあった人間の自然な感情であるとして、その感情はナショナリズムへいつどのように移行していったのだろうか。(中略)
江戸期まで、日本人にとって「クニ」と言えば、「郷土」「藩」のみを意味していた。江戸っ子とか薩摩藩主とかではあっても、「日本人である私」というアイデンティティの保ち方は知らなかった。
自らが属する共同体として、近代的国家を考える思想、すなわちナショナリズムが我が国で生まれたのは、嘉永6年、ペリー提督の黒船来航以降とされている。
「故郷は遠きにありて思うもの」
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これは メッセージ 1185 (ichigobatakeyo さん)への返信です.
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