イラク日本人襲撃事件

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手抜き「自己責任論」

投稿者: amadeusdus 投稿日時: 2004/07/08 23:20 投稿番号: [699 / 1062]
自己責任論の一つである家族の「責任転嫁論」は、毎日新聞・岩見特別顧問、櫻井よし子さんなどジャーナリストに見られる。その非論理性と、なぜこのような評論が有力となったのかについて考察してみたい。

まず読売新聞を例としてあげ論理性を見てみる。

「発生直後、主に家族とその周辺では、政府批判や自衛隊の撤退を求める声が相次ぎ、実に手際のよいデモや署名集めも行われた。一方で、自らの責任についての言及はほとんど聞かれなかった。
他に責任を転嫁する前に、まず自らの責任を明らかにするべきではないのか。つまり、責任転嫁との対比で厳しく問われたのが自己責任だった。」   読売新聞社会部長

これを簡略化すると、
  「自己責任を求め非難する(現象)の(原因)は家族の責任転嫁する態度にある。同時に、自己責任を求め非難する(現象)の(大きさ)は家族の責任転嫁する態度に比例する。」

(原因)が同時に(大きさ)の係数になっているという、既に非論理だ。仮に成り立つ説として考えると、家族の責任転嫁する態度が無ければ自己責任を求め非難する(現象)も無くなる訳で、批判派の感覚に合ってくる。逆に言えばバッシングにまで沸騰した「自己責任論」はそんなに矮小な根拠に依存していたということになる。

  こういった非論理の論説を、何人かの有力なジャーナリストが展開しているのはなぜだろう。単なる錯誤か、論理検証の手抜きかあるいは共通的な意図をもった作為であろうか?

  実は世論に目を向けるジャーナリストは普段、これと似た論評をしているようだ。例えば「企業の不祥事に対する批判が強いが、世論はこれこれこうであるからその批判は妥当である。」などである。今回も習性として甘い論理になってしまったのであろうか?

「事の本質を解明し、正邪を論ずるの」とは異なる論法を全て否定する訳ではないが、論者はその非論理性を自覚するべきだ。  

  一方、共通的な意図をもった作為はどうか?   家族とその周辺への批判的世論が沸きあがったが、これを利用し最終防衛線とすべく「理論付け」したとも考えられる。
  事実はそうでなかったとしても、ここで挙げたジャーナリストの影響度からして、結果的に、そのような役割を果たし、バッシングを煽ったといえるだろう。

錯誤あるいは作為のいかんに関わらず、特定の個人を批判の対象とし、いかにも正当な主張であるように装うのは倫理上からも許されない。ジャーナリストにとっては生活の糧の一つに過ぎないかもしれないが、被害者にはその存在全てがかかっている事に気づき、筆を折るぐらいの責任を示してもらいたい。

(注記)
1. 毎日・岩見さんは後に下記のような訂正を出し、「軽率論」に戻ったようだ。
(引用)
   〈(人質になった)高遠菜穂子さんのような方の活動は、現地の日本と日本人のイメージをよくするために、大いに役立っていると思います。それも国益です〉
  とも言っているが、同感だ。
  ただし、条件がつく。目的が立派だからすべてよし、ということではない。郡山さんが〈ときに危険を背負ってでも〉と言うときの責任感覚である。今回のイラク入りも、自らの〈自己責任〉において、安全を確保するためのあらゆる手段を講じたすえのことだったか、疑わしい。   無謀に酔うことは許されない。4番目の立場、条件つき理解派とでも言おうか。 (毎日・サンデー時評)

2. 櫻井よし子さんは5人への非難には反対し、安田さんなどのジャーナリストとしての再起決意を認めている。(週間ダイアモンド)
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