イスラームの分派についての参考資料(8)
投稿者: nezu_nezukou 投稿日時: 2004/11/16 01:51 投稿番号: [2444 / 5091]
■ アッバース朝カリフの位置
ウマイヤ朝の支配は八九年でありましたが、アッバース朝は長続きしました。
七五〇年に王朝を樹立し、七六六年にはバクダードに帝都を建設しました。最初チグリス川西岸に建設
されたこの都は、「平安の都」と名付けられました。後に東岸に都の中心が移ってからのバクダードは、
最盛期の九から一〇世紀には人口の一五〇万人に達したと推定されています。日本で同義名の平安京に
遷都があったのは、それからしばらく後の七九四年のことでありますが、規模においては両者は比較に
なりません。バクダードに帝都を建設されたものは、まさに世界最大の都でありました。
アッパーズ朝は、後に形骸化していきますが、それでもイスラーム世界の宗主権を五世紀にわたって保
ち続けました。形骸化したアッパーズ朝は、新しい王朝がバクダードに勃興すると、その権力者を自分
の執行権の代行者として任命するという擬制を使って、実態を追認しました。新興の権力者は「権力の
簒奪者」とされるよりも、そのように移行する方が、自分の正当性を確保するのに便利であったため、
一般的にはアッバース朝の権威を肯定しました。
遠く離れた地方で、実際には完全に独立した地方政権においても、アッバース朝の傘下の「執行権者」
という体制を保つ、といった動きも出てきました。そのような権力者を後代の用語で「スルターン」と
呼びます。
ちなみに、宗主権を認めることは、具体的には金曜日の礼拝の説教で名前を挙げる(唱える)ことで、
全ての物事が流れていくこととなります。金曜日の集合礼拝は、成人男子であれば全信徒の義務とされ
ていますが、形式としては、礼拝の前に説教が行われます。礼拝を導く導師が壇上から、時宜にかなっ
た話題の説教を行います。例えば、断食月が近ければ、断食の義務と断食月の間の助け合いについて、
信徒に説きます。その後、礼拝に移りますが、説教の最後に神に「祈り」を捧げます。その際に、カリ
フやスルターンの名を挙げて、彼らのために神の加護を祈ります。この名を挙げる行為が、その当地で
誰の宗主権・統治権を認めているものかの表明となります。歴代のアッバース朝カリフの名は五世紀の
長きにわたって、毎金曜日に祈りの言葉と共に唱和わされました。
アッバース朝の崩壊は、ジンギスハーンに始まるモンゴルの大征服がメソポタミアに及んだことにより
ます。モンゴル軍がバクダードを破壊し、アッバース朝を滅ぼしたのは、元寇が日本を襲う少し前の、
一二五八年のことでありました。
五世紀にわたるアッバース朝のカリフの存在は、イスラーム挙動対の象徴として機能しつづけました。
何故なら、カリフが尊重されることは、イスラーム法の支配を象徴するものだったからであります。
そして、そのことが社会システムとしてのイスラームの安定化に寄与することとなりました。
ウマイヤ朝の支配は八九年でありましたが、アッバース朝は長続きしました。
七五〇年に王朝を樹立し、七六六年にはバクダードに帝都を建設しました。最初チグリス川西岸に建設
されたこの都は、「平安の都」と名付けられました。後に東岸に都の中心が移ってからのバクダードは、
最盛期の九から一〇世紀には人口の一五〇万人に達したと推定されています。日本で同義名の平安京に
遷都があったのは、それからしばらく後の七九四年のことでありますが、規模においては両者は比較に
なりません。バクダードに帝都を建設されたものは、まさに世界最大の都でありました。
アッパーズ朝は、後に形骸化していきますが、それでもイスラーム世界の宗主権を五世紀にわたって保
ち続けました。形骸化したアッパーズ朝は、新しい王朝がバクダードに勃興すると、その権力者を自分
の執行権の代行者として任命するという擬制を使って、実態を追認しました。新興の権力者は「権力の
簒奪者」とされるよりも、そのように移行する方が、自分の正当性を確保するのに便利であったため、
一般的にはアッバース朝の権威を肯定しました。
遠く離れた地方で、実際には完全に独立した地方政権においても、アッバース朝の傘下の「執行権者」
という体制を保つ、といった動きも出てきました。そのような権力者を後代の用語で「スルターン」と
呼びます。
ちなみに、宗主権を認めることは、具体的には金曜日の礼拝の説教で名前を挙げる(唱える)ことで、
全ての物事が流れていくこととなります。金曜日の集合礼拝は、成人男子であれば全信徒の義務とされ
ていますが、形式としては、礼拝の前に説教が行われます。礼拝を導く導師が壇上から、時宜にかなっ
た話題の説教を行います。例えば、断食月が近ければ、断食の義務と断食月の間の助け合いについて、
信徒に説きます。その後、礼拝に移りますが、説教の最後に神に「祈り」を捧げます。その際に、カリ
フやスルターンの名を挙げて、彼らのために神の加護を祈ります。この名を挙げる行為が、その当地で
誰の宗主権・統治権を認めているものかの表明となります。歴代のアッバース朝カリフの名は五世紀の
長きにわたって、毎金曜日に祈りの言葉と共に唱和わされました。
アッバース朝の崩壊は、ジンギスハーンに始まるモンゴルの大征服がメソポタミアに及んだことにより
ます。モンゴル軍がバクダードを破壊し、アッバース朝を滅ぼしたのは、元寇が日本を襲う少し前の、
一二五八年のことでありました。
五世紀にわたるアッバース朝のカリフの存在は、イスラーム挙動対の象徴として機能しつづけました。
何故なら、カリフが尊重されることは、イスラーム法の支配を象徴するものだったからであります。
そして、そのことが社会システムとしてのイスラームの安定化に寄与することとなりました。
これは メッセージ 2442 (nezu_nezukou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/a5a4a5ia5afc0oah_1/2444.html