イスラームの分派についての参考資料(7)
投稿者: nezu_nezukou 投稿日時: 2004/11/16 01:49 投稿番号: [2442 / 5091]
■ アッバーズ朝の登場
初期のアリーの信奉者の中には、指導者としての彼に心酔していた人々もいますが、実は、政治的・経
済的な理由で従った人々もいました。正当カリフ時代の後期には、広大な領土から流入する富によって
潤う富裕層と困窮していく層との差も大きく開きました。また、ムアーウィヤのような権門政治家も生
まれました(これは、共同体の理の成せる技でありますが、基本的には発展途上国においての世界経済
の流れ上のものとして見てください)。
アリーはイスラーム的な正義感と同房主義で知られていたため、困窮する層や公正を求める人々が彼を
押し立てていったのも、ある意味で当然でありました。またクーファを始めとするイラク地方の人々が
彼を支持したのは、ムアーウィアが率いるシリアの支配を嫌った、という地方同士の対立も影響してい
ます。
この頃のシーア派の運動は、アリーの子孫をカリフ位に就けたい、という願望を強く持っていました。
彼なら苦しむ人々を助けてくれる、という期待がその背景にありました。そのため、シーア派は、政治
的・経済的不満を持つ人々の代弁者の機能も果たすようになり、ウマイヤ朝に対する反乱の多くがシー
ア派的な要素で彩られていました。しかし、いずれの反乱も厳しい弾圧にあって潰されました。
とはいえ、ウマイヤ朝も、やがて内部崩壊の兆しを見せ、王国の各地には怨嗟が満ちることとなりまし
た。そこでシーア派的な心情を活用して、ウマイヤ朝を倒したのがアッパーズ家の人々でありました。
彼らは「預言者の一族をカリフに」というスローガンで人々を動員しウマイヤ朝を打ち倒しました。そ
れは、七五〇年のことであります。
アッバース家は、ムハンマドの伯父アッバースに子孫です。裕福な商人であったアッバースは、マッカ
時代にはイスラームに入信しませんでしたが、ムハンマドの保護に努めた人物です。マディーナ時代に
は多神教の教徒側でイスラームと戦いましたが、マッカ征服直前に移住してイスラーム軍に加わったた
め、征服後の入信者とは高い評価を得ました。もともとマッカでは血筋の良い家系でありましたが、特
に彼の息子のアブドッラーは知恵の豊さによって「イスラーム共同体の学識」との称号を得ました。ア
ッバースの子孫は、一般論として(その家系図の系譜に依っていることから)、「預言者の一族」と名
乗る資格は持っていたでありましょう。
このアッバース朝の成立は、宗教イデオロギーで信徒を動員して政治変動を起こした点で、軍事的な征
服による王朝の成立とは異なっています。それが、研究者が「アッバーズ朝革命」と名付けている所以
であります。
しかし、シーア派から見れば、とんでもない事態でありました。彼らの言う「預言者の一族」とは、ア
リーの子孫であります。ところが、蓋を開けてみると、権力を握ったのはアッバース家でありました。
そのため、「彼らがシーア派的心情を巧妙に利用して、権力を掌握したことは間違いない」と、シーア
派は再び、希望を打ち砕かれることとなりました。
初期のアリーの信奉者の中には、指導者としての彼に心酔していた人々もいますが、実は、政治的・経
済的な理由で従った人々もいました。正当カリフ時代の後期には、広大な領土から流入する富によって
潤う富裕層と困窮していく層との差も大きく開きました。また、ムアーウィヤのような権門政治家も生
まれました(これは、共同体の理の成せる技でありますが、基本的には発展途上国においての世界経済
の流れ上のものとして見てください)。
アリーはイスラーム的な正義感と同房主義で知られていたため、困窮する層や公正を求める人々が彼を
押し立てていったのも、ある意味で当然でありました。またクーファを始めとするイラク地方の人々が
彼を支持したのは、ムアーウィアが率いるシリアの支配を嫌った、という地方同士の対立も影響してい
ます。
この頃のシーア派の運動は、アリーの子孫をカリフ位に就けたい、という願望を強く持っていました。
彼なら苦しむ人々を助けてくれる、という期待がその背景にありました。そのため、シーア派は、政治
的・経済的不満を持つ人々の代弁者の機能も果たすようになり、ウマイヤ朝に対する反乱の多くがシー
ア派的な要素で彩られていました。しかし、いずれの反乱も厳しい弾圧にあって潰されました。
とはいえ、ウマイヤ朝も、やがて内部崩壊の兆しを見せ、王国の各地には怨嗟が満ちることとなりまし
た。そこでシーア派的な心情を活用して、ウマイヤ朝を倒したのがアッパーズ家の人々でありました。
彼らは「預言者の一族をカリフに」というスローガンで人々を動員しウマイヤ朝を打ち倒しました。そ
れは、七五〇年のことであります。
アッバース家は、ムハンマドの伯父アッバースに子孫です。裕福な商人であったアッバースは、マッカ
時代にはイスラームに入信しませんでしたが、ムハンマドの保護に努めた人物です。マディーナ時代に
は多神教の教徒側でイスラームと戦いましたが、マッカ征服直前に移住してイスラーム軍に加わったた
め、征服後の入信者とは高い評価を得ました。もともとマッカでは血筋の良い家系でありましたが、特
に彼の息子のアブドッラーは知恵の豊さによって「イスラーム共同体の学識」との称号を得ました。ア
ッバースの子孫は、一般論として(その家系図の系譜に依っていることから)、「預言者の一族」と名
乗る資格は持っていたでありましょう。
このアッバース朝の成立は、宗教イデオロギーで信徒を動員して政治変動を起こした点で、軍事的な征
服による王朝の成立とは異なっています。それが、研究者が「アッバーズ朝革命」と名付けている所以
であります。
しかし、シーア派から見れば、とんでもない事態でありました。彼らの言う「預言者の一族」とは、ア
リーの子孫であります。ところが、蓋を開けてみると、権力を握ったのはアッバース家でありました。
そのため、「彼らがシーア派的心情を巧妙に利用して、権力を掌握したことは間違いない」と、シーア
派は再び、希望を打ち砕かれることとなりました。
これは メッセージ 2268 (nezu_nezukou さん)への返信です.
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