イスラームの分派のついての参考資料(3)
投稿者: nezu_nezukou 投稿日時: 2004/11/12 14:43 投稿番号: [2113 / 5091]
■ 「立ち去る者たち」ハワーリジュ派
アリー軍とムアーウィア軍の戦いは長引き、軍事的には勝敗がつきませんでした。そのため、カリフ位
をめぐる紛争については両者の間で調停を行うことになりました。
ここで、思わぬ事態が生じました。アリー軍にはアリーの支持者が多く従っていましたが、その一部が
怒って、袂を分かったのであります。「立ち去った(ハラジャ)」ので、ハーリジー派(複数形でハワ
ーリジュ派となる)と呼ばれます。
まさに「分派」であります。
彼らの理論では、正統なカリフであるアリーがカリフ位を反乱者(ムアーウィア)と調停することなど
ありえない。アリーはそれをすることで罪人に堕した、という。そんな指導者は捨てよう、と立ち去っ
たのであります。熱烈な支持者が敵を制圧できないアリーに失望したのはわかるが、この極端な反応は
どういうものであろうか。
「可愛さ余って憎さ百倍」という俗な表情が思い浮かぶ。激烈な心情の持ち主が、自分の正義論に拘っ
たためなのか、力のなかったアリーに自尊心を傷つけられたためなのか、調停に持ち込んだことが癪に
障ったのか、こうした現象が起こったのであります。
ハワーリジュ派は、この後、「大罪を犯した者は不信者であり、死に値する」との協議で知られるよう
になりますが、まず手始めに「大罪を犯した統治者」アリーとムアーウィアの暗殺を企てました。
刺客がアリーを襲って、その命を奪いました。クーファのモスクで礼拝中を襲われたアリーは、血を流
しながら礼拝を最後まで行った、という。彼の死をもって正統カリフ時代は幕を閉じました(六六一年)。
しかし、ムアーウィアに対する刺客は成功しませんでした。ムアーウィアは生き延びて、アリーの死を
機に、同年、シリアのダマスカスを首都としてウマイヤ朝を開くことになります。
アリーの長子ハサンがアリーの死後、第五代カリフになりましたが、政治的実態もなく、ごく短期間の
ことであります。ハサンはウマイヤ朝と争うよりも、信仰生活に生きる道を選びました。
これは メッセージ 2111 (nezu_nezukou さん)への返信です.
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