イスラームの分派のついての参考資料(2)
投稿者: nezu_nezukou 投稿日時: 2004/11/12 14:42 投稿番号: [2111 / 5091]
■ ムハンマドの後継者
ムハンマドの死によって、マディーナのイスラーム共同体が恐慌をきたしたことは、別の機会で振れま
すが、ムハンマドの後継者に誰がなるべきか、という問題で、対立があったという話です。
イスラームから離反する部族も幾つも出てくるようになり、制圧戦も行われました。その際に、分離し
かかった共同体を「預言者の後継者」としてまとめたのが、第一代正統カリフのアブー・バクルであり
ました。彼の選出が当時の長老政治の原理に依拠していたことにもあるのですが、それについても、別
の機会で振れます。
この当時、非常に人気があった人物として、アリーがいました。彼はムハンマドの従兄弟であり、また
ムハンマドの娘ファーティマの夫でもありました。ただし、ファーティマの夫であることが理由ではあ
りません。彼に限らず、ムハンマドは直弟子の主だった者と姻戚関係を結んでいます。第三代正統カリ
フ、ウスマーンはファーティマの姉と結婚していましたし、アブー・バクルはムハンマドの舅にあたり
ます。アリーの人気は、知恵があり勇敢であった点にあります。
ところが、彼は近親者としてムハンマドの葬儀の準備に忙しく、アブー・バクルが後継者に選出された
際に立ち会っていませんでした。そのことが後に係争の原因となります。アリーの支持者たちは、アリ
ーが選出の場にいれば彼が選出されたのではないかと想像するからであります。
多くの歴史家は、アリーは非常に人気があったものの、最初の後継者に選出される可能性は低かったと
推測しますが、熱烈な支持者たちはそう考えません。
ムハンマドの死の時点で、アブー・バクルは六〇歳を過ぎていました。アリーは三〇歳であります。成
人の中で最初に入信したのがアブー・バクル、未成年者で最初に入信したのがアリーと言われるように、
両者の間には大きな世代の格差がありました。長老の資格は年齢だけではありませんが、アリーはまだ
若かったのです。また、優れた資質を持っていることと、人々に長老として広く認められるということ
の間にも違いがあります。アブー・バクル自身も、自分の死に際して、アリーではなくウマルを後継者
に指名しました。
アリーは結局、第四代目にようやくカリフの座に就きました。この時には年齢も五〇代の終りに近づい
ていました。もはや最長老として揺るぎ無い地位を確保していたでしょう。アリーの熱心な支持者にと
っても、その他の者にとっても、円満な解決に達したといえます。
ところが、大征服によって大きな版図を得たイスラーム国家の中では、すでにパワーバランスに変化が
生じていました。アリーのカリフ位は首都の長老たちの支持を受けましたが、シリア総督となっていた
ムアーウィアは態度を保留しました。彼は第三代カリフ、ウスマーンによって任命され、シリアで自分
の一族(ウマイヤ家)の権力を固めていました。アリーをカリフとして認めれば、罷免されることは確
実であったためであります。彼は理由を付けて、アリーに反対しました。そのため、イスラーム国家が
分裂の危機にさらされていると判断したアリーは、ムアーウィア征伐のために、クーファに遷都し、出
陣しました。
最初の分派はその戦いの中で生じることになります。
ムハンマドの死によって、マディーナのイスラーム共同体が恐慌をきたしたことは、別の機会で振れま
すが、ムハンマドの後継者に誰がなるべきか、という問題で、対立があったという話です。
イスラームから離反する部族も幾つも出てくるようになり、制圧戦も行われました。その際に、分離し
かかった共同体を「預言者の後継者」としてまとめたのが、第一代正統カリフのアブー・バクルであり
ました。彼の選出が当時の長老政治の原理に依拠していたことにもあるのですが、それについても、別
の機会で振れます。
この当時、非常に人気があった人物として、アリーがいました。彼はムハンマドの従兄弟であり、また
ムハンマドの娘ファーティマの夫でもありました。ただし、ファーティマの夫であることが理由ではあ
りません。彼に限らず、ムハンマドは直弟子の主だった者と姻戚関係を結んでいます。第三代正統カリ
フ、ウスマーンはファーティマの姉と結婚していましたし、アブー・バクルはムハンマドの舅にあたり
ます。アリーの人気は、知恵があり勇敢であった点にあります。
ところが、彼は近親者としてムハンマドの葬儀の準備に忙しく、アブー・バクルが後継者に選出された
際に立ち会っていませんでした。そのことが後に係争の原因となります。アリーの支持者たちは、アリ
ーが選出の場にいれば彼が選出されたのではないかと想像するからであります。
多くの歴史家は、アリーは非常に人気があったものの、最初の後継者に選出される可能性は低かったと
推測しますが、熱烈な支持者たちはそう考えません。
ムハンマドの死の時点で、アブー・バクルは六〇歳を過ぎていました。アリーは三〇歳であります。成
人の中で最初に入信したのがアブー・バクル、未成年者で最初に入信したのがアリーと言われるように、
両者の間には大きな世代の格差がありました。長老の資格は年齢だけではありませんが、アリーはまだ
若かったのです。また、優れた資質を持っていることと、人々に長老として広く認められるということ
の間にも違いがあります。アブー・バクル自身も、自分の死に際して、アリーではなくウマルを後継者
に指名しました。
アリーは結局、第四代目にようやくカリフの座に就きました。この時には年齢も五〇代の終りに近づい
ていました。もはや最長老として揺るぎ無い地位を確保していたでしょう。アリーの熱心な支持者にと
っても、その他の者にとっても、円満な解決に達したといえます。
ところが、大征服によって大きな版図を得たイスラーム国家の中では、すでにパワーバランスに変化が
生じていました。アリーのカリフ位は首都の長老たちの支持を受けましたが、シリア総督となっていた
ムアーウィアは態度を保留しました。彼は第三代カリフ、ウスマーンによって任命され、シリアで自分
の一族(ウマイヤ家)の権力を固めていました。アリーをカリフとして認めれば、罷免されることは確
実であったためであります。彼は理由を付けて、アリーに反対しました。そのため、イスラーム国家が
分裂の危機にさらされていると判断したアリーは、ムアーウィア征伐のために、クーファに遷都し、出
陣しました。
最初の分派はその戦いの中で生じることになります。
これは メッセージ 2110 (nezu_nezukou さん)への返信です.
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