イラク、仏人人質事件の場合
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2007/05/13 11:55 投稿番号: [280795 / 280993]
フロランスの確信
http://diary.nttdata.co.jp/diary2005/06/20050621.html
(前略)
6月12日の夕方、ファルコン機から笑顔で降り立ったフロランス・オブナをフランスじゅうが上機嫌で迎え、彼女のジョークに笑い、喜ばしい解放気分を共有したのだ。彼らがイラクで人質になっていた157日間、さまざまな人びとが無数の支援行動を繰り広げたことを前に書いたが、この「市民の連帯」とでもよぶべきものによって、人びとはイラクの人質という遠い現実を見世物でも他人ごとでもなく、自分の世界の中に(少し)とり入れることができたのではないだろうか。アラブ世界研究者のジル・ケペルは、この人質事件はラシーヌの悲劇のようで(ハッピーエンドだけれども)、フロランスは国民的ヒロインだと評した。
ケペルは同時に、解放をよびかけた大規模な支援行動には、現代のフランス社会が世界に臨む関係があらわれていると指摘する。たとえば、「彼らは報道の自由のため、私たちのために行った。私たちの力によって彼らを帰還させよう」というスローガンがあったが、そこには「交渉するのは政府と諜報機関だが、自分たち市民の声をなんとか届かせたい」という思いがあるだろう。イラクのフランス大使は市民やメディアが騒ぎすぎると交渉のじゃまになると発言したが、それに対してフロランスは「政府は私たちの代表なのだから、国民の意志を反映すべきだろう。ジャーナリストだけでなく、一般の人びとも言論の自由を大切に思っている。私が手を縛られていたとき、彼らは報道の自由のために闘い、それが彼らのものでもあることを示してくれた」と記者会見で述べた。
「独占取材」を避けるためにプレスクラブで行われ、誰もが見られるようにインターネットに載ったこの記者会見は、型破りで傑作だった。苛酷な勾留体験をシンプルにユーモアたっぷりに、つまり距離をおいて冷静に語ったフロランスの才知は、4×2メートルの地下室のアングルからイラクのひとつの現実を映し出している。拉致グループの「ボス」にシラクのメールアドレスや野党のサイトを訊かれたというくだりに会場がどっと笑うと、「あのときの私には笑えなかったわ、5年は出られないと思った」とつづける。このスンニ派の拉致グループが明確な政治・宗教集団ではなく、強盗的要素の強いプロと素人が微妙に入り混じった存在であることが想像できる(フランスのリベラシオン紙が左翼系で、彼女がイラク戦争反対の立場であることなど彼らは知らず、興味もない)。「ボス」が、昨年のフランス人記者ふたりの人質事件にわりこんで顰蹙をかったジュリア議員(前フセイン政府・シリアにネットワークをもつ)を使おうとした話も滑稽に語られたが、これはフセインを倒した後も旧体制の強固なネットワークが機能していることを示している。
現地の情報をイラク人学生から収集しているジル・ケペルによると、アナーキー状態のイラクでは人質ビジネスが花咲き(イラク人も大勢犠牲になっている)、多額を払ってガードマンに守られたジャーナリズム以外はほとんど不可能になっている。同盟軍発表の情報しか報道されない地域になりつつあるのだ。これが、「民主主義をもたらす」と称してブッシュが始めた戦争の一面である。
市民の支援行動のことをフロランスが知ったのは140日目、一度だけテレビを見せてもらえたときだ。こんな大規模な行動が起きているとは想像できなかったが、「フランスの人びとが人質を見捨てるはずはないと確信していた。それがもちこたえる助けになった」と語る。ジャーナリストやボランティアの人質を罪人のように、おまけに家族までバッシングした国(日本)で、一市民がこの確信をもてるようになるには、何から始めたらいいのだろう?
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仏政府の対応や世論の反応を見て日本政府の対応や拉致被害者をバッシングしまくったバカの滑稽さが分からないのであれば愚かとしか言いようがない。
http://diary.nttdata.co.jp/diary2005/06/20050621.html
(前略)
6月12日の夕方、ファルコン機から笑顔で降り立ったフロランス・オブナをフランスじゅうが上機嫌で迎え、彼女のジョークに笑い、喜ばしい解放気分を共有したのだ。彼らがイラクで人質になっていた157日間、さまざまな人びとが無数の支援行動を繰り広げたことを前に書いたが、この「市民の連帯」とでもよぶべきものによって、人びとはイラクの人質という遠い現実を見世物でも他人ごとでもなく、自分の世界の中に(少し)とり入れることができたのではないだろうか。アラブ世界研究者のジル・ケペルは、この人質事件はラシーヌの悲劇のようで(ハッピーエンドだけれども)、フロランスは国民的ヒロインだと評した。
ケペルは同時に、解放をよびかけた大規模な支援行動には、現代のフランス社会が世界に臨む関係があらわれていると指摘する。たとえば、「彼らは報道の自由のため、私たちのために行った。私たちの力によって彼らを帰還させよう」というスローガンがあったが、そこには「交渉するのは政府と諜報機関だが、自分たち市民の声をなんとか届かせたい」という思いがあるだろう。イラクのフランス大使は市民やメディアが騒ぎすぎると交渉のじゃまになると発言したが、それに対してフロランスは「政府は私たちの代表なのだから、国民の意志を反映すべきだろう。ジャーナリストだけでなく、一般の人びとも言論の自由を大切に思っている。私が手を縛られていたとき、彼らは報道の自由のために闘い、それが彼らのものでもあることを示してくれた」と記者会見で述べた。
「独占取材」を避けるためにプレスクラブで行われ、誰もが見られるようにインターネットに載ったこの記者会見は、型破りで傑作だった。苛酷な勾留体験をシンプルにユーモアたっぷりに、つまり距離をおいて冷静に語ったフロランスの才知は、4×2メートルの地下室のアングルからイラクのひとつの現実を映し出している。拉致グループの「ボス」にシラクのメールアドレスや野党のサイトを訊かれたというくだりに会場がどっと笑うと、「あのときの私には笑えなかったわ、5年は出られないと思った」とつづける。このスンニ派の拉致グループが明確な政治・宗教集団ではなく、強盗的要素の強いプロと素人が微妙に入り混じった存在であることが想像できる(フランスのリベラシオン紙が左翼系で、彼女がイラク戦争反対の立場であることなど彼らは知らず、興味もない)。「ボス」が、昨年のフランス人記者ふたりの人質事件にわりこんで顰蹙をかったジュリア議員(前フセイン政府・シリアにネットワークをもつ)を使おうとした話も滑稽に語られたが、これはフセインを倒した後も旧体制の強固なネットワークが機能していることを示している。
現地の情報をイラク人学生から収集しているジル・ケペルによると、アナーキー状態のイラクでは人質ビジネスが花咲き(イラク人も大勢犠牲になっている)、多額を払ってガードマンに守られたジャーナリズム以外はほとんど不可能になっている。同盟軍発表の情報しか報道されない地域になりつつあるのだ。これが、「民主主義をもたらす」と称してブッシュが始めた戦争の一面である。
市民の支援行動のことをフロランスが知ったのは140日目、一度だけテレビを見せてもらえたときだ。こんな大規模な行動が起きているとは想像できなかったが、「フランスの人びとが人質を見捨てるはずはないと確信していた。それがもちこたえる助けになった」と語る。ジャーナリストやボランティアの人質を罪人のように、おまけに家族までバッシングした国(日本)で、一市民がこの確信をもてるようになるには、何から始めたらいいのだろう?
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仏政府の対応や世論の反応を見て日本政府の対応や拉致被害者をバッシングしまくったバカの滑稽さが分からないのであれば愚かとしか言いようがない。
これは メッセージ 280794 (jyonnconner さん)への返信です.
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