イラク青年講演会(中)
投稿者: cambodian_lotus 投稿日時: 2007/04/19 23:38 投稿番号: [280746 / 280993]
ブログ書いて米軍に逮捕!?
イラク青年講演会(中)
2007年04月06日05時48分
ブログ本を購入した来場者と握手するカーシムさん。4日午後9時頃、東京都文京区の文京区民センター。(撮影:崎山勝功)
【PJ 2007年04月06日】− (上)からのつづき
電気・電話・医療サービスが絶たれたラマディ
ラマディでは2003年にイラク戦争が終わって数日後、米軍のイラク占領に反対する平和的なデモが行われたが、米軍が武力攻撃したため約10名が死亡、これをきっかけに住民と米軍との間での「報復の連鎖」が始まった。
米軍は掃討作戦を実施し、ラマディの総合病院を占拠。駅は10回も空爆され、サッカー場も破壊し、20カ所にもわたる学校が占拠された。学校は狙撃兵のポイントになるので、周囲の住宅などがブルドーザーで破壊され平らにさせられ、住民は避難民となった。ラマディにあるイラク唯一のガラス工場は、今では米軍の刑務所になった。発電所なども攻撃されたので、電気・電話・医療サービスがカットされてしまった。唯一の通信手段はインターネットで、直接衛星回線につないで外部とのやりとりをしている。
日本人ジャーナリストと同行中に拘束
2003年6月、日本人フリージャーナリストの志葉玲さんと取材活動をしていたら、米軍に捕まり虐待された。初めて米海兵隊に逮捕された。なぜ逮捕されたかは分からない。「北朝鮮のスパイか」と言われ、軍事基地の写真を撮っている事を言われた。連行された空軍基地には200人もの人がいて、若者・老人・障害者もいた。私語は一切禁止された。
棒で米兵に打ちのめされ、頭には袋をかぶせられた。袋をかぶせられ、両手両足を縛られ、外に連れていかれた。熱いコンクリートの上に4時間置き去りにされた。2回目の拘束は、アルカイダグループに誘拐された。4時間程度だったが、アメリカと何も関係無いことが分かって釈放された。
ブログを書いて米軍に拘束、連行
最近、また海兵隊に捕まった。理由はラマディのことをブログに書いたから。高遠(菜穂子)さんが「これ(ラマディの現状)は世界に伝えるべきだ」と言った。僕のメッセージを転送したことで、多くの人々からの反応があった。06年9月27日深夜2時に海兵隊が家に押し入ってきた。家中の家具を壊し、金目の物を盗み、コンピューターを没収した。一緒に兄も捕まった。僕のブログをプリントアウトして、注意深く米兵の殺された数、民間人の殺された数を読んでいた。
ラマディではありふれた日常で、海兵隊はドアを蹴って入ってくる。家族は目隠し・手錠をされ、家の一カ所に集められ、女・子供も同じ扱いを受けた。探している人が見つかるまで、家族は人質として扱われる。探している人が見つかると解放される。僕の18人の家族は電気も無い、窓を閉められた状態で一つの部屋に押し込められ、窓から銃口を向け脅してきた。
僕と兄は米軍の戦車に押し込められた。目隠しと手錠をしていたが、米兵と一緒に走らなければならず、何度も転んだ。基地に連れて行かれ2日間もいた。ラマディ周辺にはたくさんの米軍基地があり、基地に収容去れている人は最終的には、元ガラス工場の刑務所に連れて行かれた。
囚人はオレンジ色の服を着せられ、1日2回は裸にされた。一つはシャワー待ちで、20分ほど全裸でシャワーを待つが、親子でやらされているのを見た。もう一つは真夜中前に裸にされ、軍の情報機関の尋問を受ける前と後は必ず裸にされた。裸にされている間、オフィサーも兵士もからかってきた。体調が悪い人も裸にされ、米軍の診療施設に連れて行かれた。【つづく】
■関連情報
カーシムさんの本は通信販売でもお求めになれます。
「イラクからの手紙ー失われた僕の町ラマディー」
著 カーシム・トゥルキ
共訳 高遠菜穂子 細井明美
A5版 84ページ 500円(送料込680円)
お求め先はイラクホープネットまで。
http://www.iraq-hope.net/
2007年04月06日05時48分
ブログ本を購入した来場者と握手するカーシムさん。4日午後9時頃、東京都文京区の文京区民センター。(撮影:崎山勝功)
【PJ 2007年04月06日】− (上)からのつづき
電気・電話・医療サービスが絶たれたラマディ
ラマディでは2003年にイラク戦争が終わって数日後、米軍のイラク占領に反対する平和的なデモが行われたが、米軍が武力攻撃したため約10名が死亡、これをきっかけに住民と米軍との間での「報復の連鎖」が始まった。
米軍は掃討作戦を実施し、ラマディの総合病院を占拠。駅は10回も空爆され、サッカー場も破壊し、20カ所にもわたる学校が占拠された。学校は狙撃兵のポイントになるので、周囲の住宅などがブルドーザーで破壊され平らにさせられ、住民は避難民となった。ラマディにあるイラク唯一のガラス工場は、今では米軍の刑務所になった。発電所なども攻撃されたので、電気・電話・医療サービスがカットされてしまった。唯一の通信手段はインターネットで、直接衛星回線につないで外部とのやりとりをしている。
日本人ジャーナリストと同行中に拘束
2003年6月、日本人フリージャーナリストの志葉玲さんと取材活動をしていたら、米軍に捕まり虐待された。初めて米海兵隊に逮捕された。なぜ逮捕されたかは分からない。「北朝鮮のスパイか」と言われ、軍事基地の写真を撮っている事を言われた。連行された空軍基地には200人もの人がいて、若者・老人・障害者もいた。私語は一切禁止された。
棒で米兵に打ちのめされ、頭には袋をかぶせられた。袋をかぶせられ、両手両足を縛られ、外に連れていかれた。熱いコンクリートの上に4時間置き去りにされた。2回目の拘束は、アルカイダグループに誘拐された。4時間程度だったが、アメリカと何も関係無いことが分かって釈放された。
ブログを書いて米軍に拘束、連行
最近、また海兵隊に捕まった。理由はラマディのことをブログに書いたから。高遠(菜穂子)さんが「これ(ラマディの現状)は世界に伝えるべきだ」と言った。僕のメッセージを転送したことで、多くの人々からの反応があった。06年9月27日深夜2時に海兵隊が家に押し入ってきた。家中の家具を壊し、金目の物を盗み、コンピューターを没収した。一緒に兄も捕まった。僕のブログをプリントアウトして、注意深く米兵の殺された数、民間人の殺された数を読んでいた。
ラマディではありふれた日常で、海兵隊はドアを蹴って入ってくる。家族は目隠し・手錠をされ、家の一カ所に集められ、女・子供も同じ扱いを受けた。探している人が見つかるまで、家族は人質として扱われる。探している人が見つかると解放される。僕の18人の家族は電気も無い、窓を閉められた状態で一つの部屋に押し込められ、窓から銃口を向け脅してきた。
僕と兄は米軍の戦車に押し込められた。目隠しと手錠をしていたが、米兵と一緒に走らなければならず、何度も転んだ。基地に連れて行かれ2日間もいた。ラマディ周辺にはたくさんの米軍基地があり、基地に収容去れている人は最終的には、元ガラス工場の刑務所に連れて行かれた。
囚人はオレンジ色の服を着せられ、1日2回は裸にされた。一つはシャワー待ちで、20分ほど全裸でシャワーを待つが、親子でやらされているのを見た。もう一つは真夜中前に裸にされ、軍の情報機関の尋問を受ける前と後は必ず裸にされた。裸にされている間、オフィサーも兵士もからかってきた。体調が悪い人も裸にされ、米軍の診療施設に連れて行かれた。【つづく】
■関連情報
カーシムさんの本は通信販売でもお求めになれます。
「イラクからの手紙ー失われた僕の町ラマディー」
著 カーシム・トゥルキ
共訳 高遠菜穂子 細井明美
A5版 84ページ 500円(送料込680円)
お求め先はイラクホープネットまで。
http://www.iraq-hope.net/
これは メッセージ 280745 (cambodian_lotus さん)への返信です.
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