襲撃映像を見て思うこと。
投稿者: wanko1955 投稿日時: 2005/05/30 22:34 投稿番号: [278063 / 280993]
悲惨な死、理不尽な死、残酷な死、凄惨な死・・・等々が云々されますが、
これらはすべて“生き残った人間の側だけ”の各々の「相対的な印象」の違い
に過ぎない気がします。かなり乱暴な意見になりますが、医療ミスによる死も、
イラクでの戦闘による死も、生き残った人間がそれを“殺された”と印象すれば、
どちらも同じような「意味」を持つのではないでしょうか。
徒に死生観の違いを語るつもりはありません。ただ、例の襲撃映像で、
倒れている者たちの頭部に留めの銃弾を撃ちこむシーンを見て、
ある人は「残忍だ!」と、さらに憎悪の念を覚えたかもしれませんが、
自分はかえって「どうせ殺されるのであれば留めを刺されたほうが楽かな・・・」
と感じました。「殺すこと」と「殺されること」、「殺しかた」と「殺されかた」、
そして「死ぬこと」と「生きること」をどんなに区別しようとしても、
すべては生き残っている側の“どう生きるか?”の目的の違い、解釈の違い
にしか過ぎず、そう考えると「殺人は悪である」の大前提さえも、
本当にすべての人類の共通認識なのか・・・? 疑問に思ってしまったりします。
かつて、ダンプカーの後輪に歩行者が巻きこまれた死亡事故の現場を
目撃したことがあります。歩行者の上半身は、ほとんどカタチなくドロドロと
路肩の側溝に“流れ出して”いるような状態で、かえって下半身が無傷だったため、
余計に事故現場は“凄惨な印象”を深めていました。
現場に到着した警察官のひとりは、それを見るなり、まだ運転席で放心したままの
ダンプカーの運転手の胸ぐらを掴んで、怒号とともに外に引き吊り出しました。
その激昂の度合いは、おそらく、単純に「1件の人身死亡事故」に起因する
のではなく、その“凄惨な事故現場(=歩行者の死に様)”にあったのだと
思います。今となっては、冷静に「どんな死に方であろうが、
死は(死者にとって)等しく“死”である」と考えられるのですが、当時、
自分もその事故現場を離れた後で「もし、その歩行者が家族だったら・・・」
と考えて嘔吐してしまいました。これは「死ぬ側」の問題ではなくて
「生き残る側」の問題なのだと・・・そんな結論に至るまでに時間はかかりました。
このような“冷めた意識”が、問題の何らの解決策も導き出していないことは
承知しています。ですが、今回の斉藤氏の死も含めて、一連のイラクの状況に関して
“個人の情感レベル”で対応することに、どこかで危うさを感じてしまう・・・
というのが、正直な思いです。かといって「論理」や「理性」が世の中のすべて、
だと考えているわけでもないのですが。
これらはすべて“生き残った人間の側だけ”の各々の「相対的な印象」の違い
に過ぎない気がします。かなり乱暴な意見になりますが、医療ミスによる死も、
イラクでの戦闘による死も、生き残った人間がそれを“殺された”と印象すれば、
どちらも同じような「意味」を持つのではないでしょうか。
徒に死生観の違いを語るつもりはありません。ただ、例の襲撃映像で、
倒れている者たちの頭部に留めの銃弾を撃ちこむシーンを見て、
ある人は「残忍だ!」と、さらに憎悪の念を覚えたかもしれませんが、
自分はかえって「どうせ殺されるのであれば留めを刺されたほうが楽かな・・・」
と感じました。「殺すこと」と「殺されること」、「殺しかた」と「殺されかた」、
そして「死ぬこと」と「生きること」をどんなに区別しようとしても、
すべては生き残っている側の“どう生きるか?”の目的の違い、解釈の違い
にしか過ぎず、そう考えると「殺人は悪である」の大前提さえも、
本当にすべての人類の共通認識なのか・・・? 疑問に思ってしまったりします。
かつて、ダンプカーの後輪に歩行者が巻きこまれた死亡事故の現場を
目撃したことがあります。歩行者の上半身は、ほとんどカタチなくドロドロと
路肩の側溝に“流れ出して”いるような状態で、かえって下半身が無傷だったため、
余計に事故現場は“凄惨な印象”を深めていました。
現場に到着した警察官のひとりは、それを見るなり、まだ運転席で放心したままの
ダンプカーの運転手の胸ぐらを掴んで、怒号とともに外に引き吊り出しました。
その激昂の度合いは、おそらく、単純に「1件の人身死亡事故」に起因する
のではなく、その“凄惨な事故現場(=歩行者の死に様)”にあったのだと
思います。今となっては、冷静に「どんな死に方であろうが、
死は(死者にとって)等しく“死”である」と考えられるのですが、当時、
自分もその事故現場を離れた後で「もし、その歩行者が家族だったら・・・」
と考えて嘔吐してしまいました。これは「死ぬ側」の問題ではなくて
「生き残る側」の問題なのだと・・・そんな結論に至るまでに時間はかかりました。
このような“冷めた意識”が、問題の何らの解決策も導き出していないことは
承知しています。ですが、今回の斉藤氏の死も含めて、一連のイラクの状況に関して
“個人の情感レベル”で対応することに、どこかで危うさを感じてしまう・・・
というのが、正直な思いです。かといって「論理」や「理性」が世の中のすべて、
だと考えているわけでもないのですが。
これは メッセージ 278060 (nanisunjya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/a5a4a5ia5afa4gffckdcbfm94bab_1/278063.html