ヤクザの処刑と侵略者の処刑は同じ
投稿者: skydivingtoheaven 投稿日時: 2005/05/13 02:02 投稿番号: [277121 / 280993]
>「逆に聞きますが、あなたはなぜ区別しているのですか?
どちらも殺人ですよ。」と答えています。
>「殺人」は区別なく「殺人」というならば、米英軍による攻撃の犠牲者と、
>レジスタンス・テロの犠牲者も区別が無いというはずですよね。
世の中にはやむをえない殺人と真の邪悪としての殺人があるということです。宅間守の処刑はやむをえない殺人でしょう。しかし宅間守が行った殺人は真の邪悪かもしれません。
宅間守の処刑には正当な理由があります。
殺人(今回の例では侵略)に対する罰でもあります。
宅間守の殺人も米兵達の侵略殺人もなんら正統性のない真の邪悪としての殺人です。だから両者は本質的に同じだと思います。
それに対して、宅間守の処刑はやむをえない殺人であるし、侵略者に抵抗して侵略者を殺すことは例え殺人であったとしても正当な理由がある殺人です。
真の悪としての殺人はどれもみな同じだというのが、昨日の発言の趣旨です。言葉足らずだったかもしれません。
>また、貴方が侵略者と呼ぶその外国の力に頼ってでも、
>独裁者の抑圧から解放されたかった人の願いはどうでしょう。
これはイスラム教徒たちが本来は自分達の力で勝ち取るべきものだったと思います。もしそれができないのなら、外国にいた我々は資金援助をしたり、場合によっては武器を反フセイン抵抗者たちに渡せばよかったと思います。アメリカが勝手に自分の判断で侵略するのは絶対におかしいと思います。
むしろアメリカはイランイラク戦争の時にフセイン大統領を側面から援助しました。またアメリカ人が忌み嫌うオサマ・ビンラディンですら、アメリカが援助していたのはよく知られた事実です。そういう意味ではアメリカはフセインと同じ邪悪者かあるいは五十歩百歩だと思います。
私は当然ながらフセインは独裁者だと思います。ですから、外国にいた我々は、反フセインレジスタンス活動をしていた人達に、積極的に武器やお金を協力するべきだったと思います。それができなかったのは我々日本人も含めた世界の人の不徳とすべきことでしょう。私自身も含めて。
>米英軍による侵略前に行われた「虐殺」にかんして、
>サダムフセイン元大統領と多くの「無力な市民を闇に葬った」人達も、
>「報い」を受けるとはならないのですか?
当然、報いを受けるべきです。侵略者米兵達を全て無条件に殺すなり追い出した上でイラク人自身の手で。
>警察が「殺人」を防ぐために「殺人」を犯すより
>自分がテロリストに身を捧げるという方ですか?
私は警察が殺人を防ぐためにむしろもっと積極的に発砲して欲しいと思います。
例えば、しばらく前に、神戸で大学院生が激情した大勢のヤクザに惨殺されるという大凶悪事件がありました。
しかし、現場にいた警察官はヤクザ数人をに職務質問しただけで、空に向かって威嚇射撃することもなく、それで不十分であればヤクザに向けて銃を発射することもなく現場を立ち去ってしまいました。
私はこの事件に大いなる怒りを感じています。もしあの時警察官が場合によってはヤクザを射殺していれば、被害者の大学院生は死ななかったはずです。ですから私は警察にはもっと積極的に発砲して欲しいといつも思っています。
また、あの事件には後日の裁判の話もあって、主犯のやくざもたったの懲役20年という軽い罪に終わってしまいました。ヤクザの一般市民に対する理由なき不当な邪悪な殺人であるから、私はずっとヤクザ8人ぐらいの死刑判決を祈っていたのですが、たったの懲役20年でした。大学院生の母親は泣いて控訴を願ったので、おそらく控訴されたとは思いますが。
私は、警察官の発砲には大いに賛成です。正当な殺人だからです。侵略者に対する処刑も当然あるべきです。しかし、侵略者には殺人を行う権利も道徳的正当性もありません。
さきほどのヤクザと被害者の大学院生の話と同じだと思います。
私は警察官にはもっともっと発砲してほしかったし、裁判官ももっと多くのヤクザを処刑して欲しかったです。それと全く同じように、イスラム戦士にも侵略者達(ヤクザ)をもっと処刑して欲しいです。
どちらも殺人ですよ。」と答えています。
>「殺人」は区別なく「殺人」というならば、米英軍による攻撃の犠牲者と、
>レジスタンス・テロの犠牲者も区別が無いというはずですよね。
世の中にはやむをえない殺人と真の邪悪としての殺人があるということです。宅間守の処刑はやむをえない殺人でしょう。しかし宅間守が行った殺人は真の邪悪かもしれません。
宅間守の処刑には正当な理由があります。
殺人(今回の例では侵略)に対する罰でもあります。
宅間守の殺人も米兵達の侵略殺人もなんら正統性のない真の邪悪としての殺人です。だから両者は本質的に同じだと思います。
それに対して、宅間守の処刑はやむをえない殺人であるし、侵略者に抵抗して侵略者を殺すことは例え殺人であったとしても正当な理由がある殺人です。
真の悪としての殺人はどれもみな同じだというのが、昨日の発言の趣旨です。言葉足らずだったかもしれません。
>また、貴方が侵略者と呼ぶその外国の力に頼ってでも、
>独裁者の抑圧から解放されたかった人の願いはどうでしょう。
これはイスラム教徒たちが本来は自分達の力で勝ち取るべきものだったと思います。もしそれができないのなら、外国にいた我々は資金援助をしたり、場合によっては武器を反フセイン抵抗者たちに渡せばよかったと思います。アメリカが勝手に自分の判断で侵略するのは絶対におかしいと思います。
むしろアメリカはイランイラク戦争の時にフセイン大統領を側面から援助しました。またアメリカ人が忌み嫌うオサマ・ビンラディンですら、アメリカが援助していたのはよく知られた事実です。そういう意味ではアメリカはフセインと同じ邪悪者かあるいは五十歩百歩だと思います。
私は当然ながらフセインは独裁者だと思います。ですから、外国にいた我々は、反フセインレジスタンス活動をしていた人達に、積極的に武器やお金を協力するべきだったと思います。それができなかったのは我々日本人も含めた世界の人の不徳とすべきことでしょう。私自身も含めて。
>米英軍による侵略前に行われた「虐殺」にかんして、
>サダムフセイン元大統領と多くの「無力な市民を闇に葬った」人達も、
>「報い」を受けるとはならないのですか?
当然、報いを受けるべきです。侵略者米兵達を全て無条件に殺すなり追い出した上でイラク人自身の手で。
>警察が「殺人」を防ぐために「殺人」を犯すより
>自分がテロリストに身を捧げるという方ですか?
私は警察が殺人を防ぐためにむしろもっと積極的に発砲して欲しいと思います。
例えば、しばらく前に、神戸で大学院生が激情した大勢のヤクザに惨殺されるという大凶悪事件がありました。
しかし、現場にいた警察官はヤクザ数人をに職務質問しただけで、空に向かって威嚇射撃することもなく、それで不十分であればヤクザに向けて銃を発射することもなく現場を立ち去ってしまいました。
私はこの事件に大いなる怒りを感じています。もしあの時警察官が場合によってはヤクザを射殺していれば、被害者の大学院生は死ななかったはずです。ですから私は警察にはもっと積極的に発砲して欲しいといつも思っています。
また、あの事件には後日の裁判の話もあって、主犯のやくざもたったの懲役20年という軽い罪に終わってしまいました。ヤクザの一般市民に対する理由なき不当な邪悪な殺人であるから、私はずっとヤクザ8人ぐらいの死刑判決を祈っていたのですが、たったの懲役20年でした。大学院生の母親は泣いて控訴を願ったので、おそらく控訴されたとは思いますが。
私は、警察官の発砲には大いに賛成です。正当な殺人だからです。侵略者に対する処刑も当然あるべきです。しかし、侵略者には殺人を行う権利も道徳的正当性もありません。
さきほどのヤクザと被害者の大学院生の話と同じだと思います。
私は警察官にはもっともっと発砲してほしかったし、裁判官ももっと多くのヤクザを処刑して欲しかったです。それと全く同じように、イスラム戦士にも侵略者達(ヤクザ)をもっと処刑して欲しいです。
これは メッセージ 277088 (dochitebouya_usa さん)への返信です.
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