>横からスミマセン>RE:5>「人質」
投稿者: dup_amadeus 投稿日時: 2004/09/30 23:30 投稿番号: [240367 / 280993]
ご指摘の件、日本語の持っているあいまさからくる問題ですね。
投稿時はAとBの2文合わせて「心理」の問題として理解してもらえるかと思いました。が、義務として再考してみようと思いますので、長文お付き合いください。
A.(自分が認めると、次に行く人たちも悪い気分になってしまう)可能性があると思うんです
B.(謝ると現場へ行くヤツはみんな悪いやつだてことになってしまうから。)そうです。
[検証点]
・『謝罪をする』事と、ジャーナリストが活動しづらくなるのは全く別の問題かどうか?
(悪いヤツかどうか?ではありません)
[関連の状況]
・ 拘束事件以後、治安の悪化に伴いジャーナリスト、メディアの退避が起きている。これは主に個人、組織の自己抑制のハードルが高くなってきたこと。郡山氏はその責任の一端を感じている。
・ 後続者が出て行くことが更に困難になることを懸念している。
・ 自分に非はないと思っている。謝罪するにも誰に、何を、が不明。
・ ジャーナリストとして現場の事実を伝えることを重視している。
文Bのみを考える。
B.謝ると現場へ行くヤツはみんな悪いやつだてことに△△△なってしまうから。
正しい文章にするには△△△に主語を補えば良いと考えてみると、可能性のあるのは
B1.世論、世間の目、風潮、政府の目、ジャーナリストの価値観、+は。これらは抽象語。
正確性を欠くのが
B2.国民、政府、ジャーナリスト、+は。これらは人的格ですね。
B1の追加で文法上、表現上は良いのですが、次に例えば△△△を世論とし、「ジャーナリストが活動しづらくなる」との主張の間を埋める理解が必要だと思います。
つまり世論としたものの、主体は具体性に欠け不安定です。実際は、謝罪に伴う無形の約束あるいは義務感が彼の意識の中に残る、あるいはジャーナリスト、メディアに波及し抑制的な認識として残る。それが際限なく自己抑制として働く、というプロセスを想定しているはずです。それを避けたいというのが郡山さんの主張だと思います。
個人の謝罪が他の個人、組織に波及することは、「見せしめ効果」や実際に国内外社会で起きている同種の事例で説明できると思う。問題が大きいほど、リスク感覚の共有度が大きいほど波及効果は大きいと言えると思う。
結局、B単独でもジャーナリスト、メディアに心理的に抑制力が作用するという解釈にいたるということで良いかと思います。
前回、当事者(ジャーナリスト、メディアの個人、組織)に傍から(政府、国民などの人的格)保証を与えられないと書いたのは、当事者と人的格双方が流動的であること、ハードルをどう設定するかは正に心理的・感覚的で事態によっても変動するものだからです。結局、当事者の責任でしかないと思います。
結論として、『謝罪をする』事と、ジャーナリストが活動しづらくなるのは全く別の問題
とは言えない、という点は変わりませんでした。
投稿時はAとBの2文合わせて「心理」の問題として理解してもらえるかと思いました。が、義務として再考してみようと思いますので、長文お付き合いください。
A.(自分が認めると、次に行く人たちも悪い気分になってしまう)可能性があると思うんです
B.(謝ると現場へ行くヤツはみんな悪いやつだてことになってしまうから。)そうです。
[検証点]
・『謝罪をする』事と、ジャーナリストが活動しづらくなるのは全く別の問題かどうか?
(悪いヤツかどうか?ではありません)
[関連の状況]
・ 拘束事件以後、治安の悪化に伴いジャーナリスト、メディアの退避が起きている。これは主に個人、組織の自己抑制のハードルが高くなってきたこと。郡山氏はその責任の一端を感じている。
・ 後続者が出て行くことが更に困難になることを懸念している。
・ 自分に非はないと思っている。謝罪するにも誰に、何を、が不明。
・ ジャーナリストとして現場の事実を伝えることを重視している。
文Bのみを考える。
B.謝ると現場へ行くヤツはみんな悪いやつだてことに△△△なってしまうから。
正しい文章にするには△△△に主語を補えば良いと考えてみると、可能性のあるのは
B1.世論、世間の目、風潮、政府の目、ジャーナリストの価値観、+は。これらは抽象語。
正確性を欠くのが
B2.国民、政府、ジャーナリスト、+は。これらは人的格ですね。
B1の追加で文法上、表現上は良いのですが、次に例えば△△△を世論とし、「ジャーナリストが活動しづらくなる」との主張の間を埋める理解が必要だと思います。
つまり世論としたものの、主体は具体性に欠け不安定です。実際は、謝罪に伴う無形の約束あるいは義務感が彼の意識の中に残る、あるいはジャーナリスト、メディアに波及し抑制的な認識として残る。それが際限なく自己抑制として働く、というプロセスを想定しているはずです。それを避けたいというのが郡山さんの主張だと思います。
個人の謝罪が他の個人、組織に波及することは、「見せしめ効果」や実際に国内外社会で起きている同種の事例で説明できると思う。問題が大きいほど、リスク感覚の共有度が大きいほど波及効果は大きいと言えると思う。
結局、B単独でもジャーナリスト、メディアに心理的に抑制力が作用するという解釈にいたるということで良いかと思います。
前回、当事者(ジャーナリスト、メディアの個人、組織)に傍から(政府、国民などの人的格)保証を与えられないと書いたのは、当事者と人的格双方が流動的であること、ハードルをどう設定するかは正に心理的・感覚的で事態によっても変動するものだからです。結局、当事者の責任でしかないと思います。
結論として、『謝罪をする』事と、ジャーナリストが活動しづらくなるのは全く別の問題
とは言えない、という点は変わりませんでした。
これは メッセージ 240281 (zehiyorosikuonegaiitasimasu さん)への返信です.
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