「人質」 2−2
投稿者: shippou_kohaku 投稿日時: 2004/09/20 18:18 投稿番号: [239223 / 280993]
捕まって数時間後にはすでに相当話も出来る状態だったようで、
ジェネラルを通して宗教の話などをしていたようです。
その後拘束場所を移す際には目隠し等をされていたようですが、
普通の民家に連れて行かれて、「ちょっと預かってくれ」という風に
お願いして預けられた、という感じのようです。
2日目の宿泊地(と書かれています)では、周りの建物から
そこがファルージャであることがわかったようです。
拘束しているグループは度々変わり、荷物を管理しているグループは別にあり、
私達の荷物を返してくれ!と高遠さんがかなり怒ったようです。
しかし、確認するといわれ、返されていません。
その後、車の中でも目隠しが取れて、周りに何もない所に連れて行かれ、
夜空で食事をした老人と青年の家に連れて行かれ、4日程過ごしています。
ここでは青年が毎朝市場へ買い物に行き、
彼らの欲しいもの(タバコや水)を調達してくれた上に
バケツのお湯でお風呂もどきも出来たようです。
誰かが不調になると、お祈りをしてくれたり外で食事をするようになったり、
また、自分達は野菜だけで、郡山氏たちにはチキンを食べさせる等
大変気遣われていた様子が書かれています。
歌を歌ったり、影絵で遊んだりととてもリラックスして過ごしている半面、
高遠さんと今井氏は時々「ストン」と落ち込んでしまい
それをどう盛り上げようかという使命感に燃えていたそうです。
4泊した家も、葉っぱを編んだ天井を見て「東南アジアだ」と思ったとか…
日本語を話せる相手がいて、緊張感も何もなくて、
解放された後に取材が続けられるのかを心配していたそうです。
解放される前日にもどこかの民家に寄って、
そこで出されたヨーグルトドリンクで今井氏はおなかを壊したそうです。
ここでは、テレビを見せてもらい、日本の家族の様子を見たそうです。
アラビア語に吹き返されたので内容はわからなかったと書かれています。
この家で荷物を受け取ったところ、まったく別人のもので、
みんなでリストを作って不足品を返させることにしたようです。
また、夜にはジャッキー・チェンの映画を見ながら寝たとか。
また、拘束犯の方が、一生懸命荷物を探してくれて
「時間ぎりぎりまで探すから」と言われたのに
「荷物はいいからバグダッドに連れて行って!」と怒ったそうです。
開放された場所へは、20分ほどしかかからなかったので、
また別の箇所へ移されただけだ、と思ったところ
日本語で話しかけられて、それがディア氏であり、解放を知らされたそうです。
目隠しをしたまま部屋へ入ったことについては、
日テレも含めた、「演出」のためだろう、と思っているようです。
「俺は撮るのが仕事なんだ」発言については、
カメラのマークを見つけて、「日テレじゃないか、撮るなよ。
お前が撮るなら俺も撮り返してやるよ」とカメラを取り出したそうです。
拘束時のドライバーには多少の怪しい部分はあるけれども、
他に行ってくれる人もいなかったし、
自分達も甘かったのかも知れないと思っているそうです。
また、イラク人は日本に良い印象を持っているから心配ない、という
甘い思い込みがあったのだろうと反省しています。
郡山氏たちを拘束したグループはたまたま親日派で
米軍の攻撃から守ってくれていたと同時に
反日感情の強いグループからも守ってくれていたと書かれていて、
解放が決まった後に拘束犯に「戦っているムジャヒディンの様子や、
毎日の生活、家族との様子を取材して日本で発表したい」と申し出た際に
「ありがたいけれども、今外国人を動かすことは大変なんだ」と
丁寧に断られたそうです。
第一章の説明を大まかにさせていただきました。
拘束中も、命よりカメラが心配だったということですので、
やはり身の危険というものは、なかったのではないかと思います。
あくまで私の感想ではありますが、会見で言っていたような
緊張した雰囲気は、読んでみた限りは伝わってきませんでした。
それは、郡山氏だけでなく、他の方についての記述からもです。
第二章以降は、また追々書かせていただきます。
誤字脱字、ご容赦ください。
ジェネラルを通して宗教の話などをしていたようです。
その後拘束場所を移す際には目隠し等をされていたようですが、
普通の民家に連れて行かれて、「ちょっと預かってくれ」という風に
お願いして預けられた、という感じのようです。
2日目の宿泊地(と書かれています)では、周りの建物から
そこがファルージャであることがわかったようです。
拘束しているグループは度々変わり、荷物を管理しているグループは別にあり、
私達の荷物を返してくれ!と高遠さんがかなり怒ったようです。
しかし、確認するといわれ、返されていません。
その後、車の中でも目隠しが取れて、周りに何もない所に連れて行かれ、
夜空で食事をした老人と青年の家に連れて行かれ、4日程過ごしています。
ここでは青年が毎朝市場へ買い物に行き、
彼らの欲しいもの(タバコや水)を調達してくれた上に
バケツのお湯でお風呂もどきも出来たようです。
誰かが不調になると、お祈りをしてくれたり外で食事をするようになったり、
また、自分達は野菜だけで、郡山氏たちにはチキンを食べさせる等
大変気遣われていた様子が書かれています。
歌を歌ったり、影絵で遊んだりととてもリラックスして過ごしている半面、
高遠さんと今井氏は時々「ストン」と落ち込んでしまい
それをどう盛り上げようかという使命感に燃えていたそうです。
4泊した家も、葉っぱを編んだ天井を見て「東南アジアだ」と思ったとか…
日本語を話せる相手がいて、緊張感も何もなくて、
解放された後に取材が続けられるのかを心配していたそうです。
解放される前日にもどこかの民家に寄って、
そこで出されたヨーグルトドリンクで今井氏はおなかを壊したそうです。
ここでは、テレビを見せてもらい、日本の家族の様子を見たそうです。
アラビア語に吹き返されたので内容はわからなかったと書かれています。
この家で荷物を受け取ったところ、まったく別人のもので、
みんなでリストを作って不足品を返させることにしたようです。
また、夜にはジャッキー・チェンの映画を見ながら寝たとか。
また、拘束犯の方が、一生懸命荷物を探してくれて
「時間ぎりぎりまで探すから」と言われたのに
「荷物はいいからバグダッドに連れて行って!」と怒ったそうです。
開放された場所へは、20分ほどしかかからなかったので、
また別の箇所へ移されただけだ、と思ったところ
日本語で話しかけられて、それがディア氏であり、解放を知らされたそうです。
目隠しをしたまま部屋へ入ったことについては、
日テレも含めた、「演出」のためだろう、と思っているようです。
「俺は撮るのが仕事なんだ」発言については、
カメラのマークを見つけて、「日テレじゃないか、撮るなよ。
お前が撮るなら俺も撮り返してやるよ」とカメラを取り出したそうです。
拘束時のドライバーには多少の怪しい部分はあるけれども、
他に行ってくれる人もいなかったし、
自分達も甘かったのかも知れないと思っているそうです。
また、イラク人は日本に良い印象を持っているから心配ない、という
甘い思い込みがあったのだろうと反省しています。
郡山氏たちを拘束したグループはたまたま親日派で
米軍の攻撃から守ってくれていたと同時に
反日感情の強いグループからも守ってくれていたと書かれていて、
解放が決まった後に拘束犯に「戦っているムジャヒディンの様子や、
毎日の生活、家族との様子を取材して日本で発表したい」と申し出た際に
「ありがたいけれども、今外国人を動かすことは大変なんだ」と
丁寧に断られたそうです。
第一章の説明を大まかにさせていただきました。
拘束中も、命よりカメラが心配だったということですので、
やはり身の危険というものは、なかったのではないかと思います。
あくまで私の感想ではありますが、会見で言っていたような
緊張した雰囲気は、読んでみた限りは伝わってきませんでした。
それは、郡山氏だけでなく、他の方についての記述からもです。
第二章以降は、また追々書かせていただきます。
誤字脱字、ご容赦ください。
これは メッセージ 239221 (shippou_kohaku さん)への返信です.
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