>>>>>>8/10のスパモニ 2続
投稿者: amadeusdus 投稿日時: 2004/08/13 22:52 投稿番号: [230429 / 280993]
Raru様
ご返事、ありがとうございます。さて今回、御提起の私の姿勢についてですが、政府による「自己責任」発言、マスコミが発した「政府批判」、ネットで繰り広げられた「人質批判」と「自作自演説」を総合的、客観的に分析・総合し判断しようと努めております。現実は理想通りいかないのですが。「刑事民事の手続き」の言葉は試論を展開する上でのとりかかりとして、想起したまでで、お説を批判的に決め付けたものではないことをご了解ください。(結論は異なってしまいましたが)
本論に入りますが、鬼頭氏の「自己責任だからと言って見殺しにしていいのか」発言については、お互いの意見を交換できたということでよろしいかと思います。
前回、2点提起させていただいた件ですが、新聞論説2例について、それによって世論に大きな影響がないというお説ですが、世論はマスコミの影響をほとんど受けないということでしょうか?TVの影響は大きいだろうとは実感してますが、個人的には報道内容をほとんど追跡できません。この件は単に文意の確認ですので、軽くお答えいただければ結構です。
私としましては社説・論説は決して世論の後追いだけではない、対系列内メデアも含めオピニオンリーダーのひとつであるという前提で引用したのです。また政府についても言えることですが各メデアは、あのような時期に冷静・抑制的なメッセージを表明することも期待機能の一つだと考えております。実際は万人の期待通りにはならない点も、対メデア批判が出てくる所以ですが。社会学的には、TV,Net,週刊誌、口コミなどを含め厳密に分析するのが正しいのでしょうが、個人的な制約もあり現在の方法をとっています。
いったんわき道にそれますが、今回ご意見の『「自作自演容疑練り上げ」「感情に走りすぎた自己責任追求」は、主にネットを舞台として個人レベルで展開されたものであり、これらは後づけでマスコミから取り上げられたにすぎません。』については反論させていただきます。自作自演説の緒端がNetであり急速に拡散したことは承知しておりますが、その拡大のネタを与える形になったり、一般国民向けに発信していったのが、産経、読売、共同、週刊新潮、週間文春などです。女性週刊誌では高名なお方が、数十億円を月賦でも返済しろと発言してますが、これも影響力は大きく惨い例だと思います。TVについては先ほどのように、十分把握できていませんのでここでは除外させてください。
2点目に戻りますが、前回の試論に雑なところもありますので、もう一度整理したいと思います。
まず命題を「政府批判は、批判対象の結果が公然になるまで待つべきかどうか?」としたいと思います。
個人に対するけん責、疑惑追及は憲法および各法で制限を受けるものです。今回の事件では一部国民、マスコミの逸脱が見られたが、政府、その他マスコミ、その他世論は逸脱を抑止できなかった、あるいは黙認した。(ここでは、あえて加担したとは書きません)。ここで制限とは、事実による立証義務です。
政府機関に対する批判、あるいは疑惑追及は民主主義社会において国民の権利であり、倫理上の節度を有す限りは認められていると考えています。政府の施策が誤りであるという結果を待つこと、あるいは立証義務は必要ないはずです。三権およびマスコミは本来、強い権力を有しているからです。これが私の結論です。
前回、ここで政府批判の例として、私の行っているポピュリズム批判、関連するマスコミスクラム批判をあげてしまいましたのでご理解できなかったことと思います。お詫びします。発端は鬼頭氏のコメントでしたね。
Raru様もここで法律的な議論をする意図でなく、意見として述べられたことは理解できましたので、一区切りだと思いますが、どうでしょうか?
議論さるべき本質的な問題は、国民の人命と国策決定の関係だと思いますが、鬼頭氏の発言あるいは人質に対する非難・擁護といった現実的な流れとは切り離し、単独にしたほうが良いと考えております。なかなか重たいテーマなのですが、提起できるようになったらしてみようと思っております。
では。
本論に入りますが、鬼頭氏の「自己責任だからと言って見殺しにしていいのか」発言については、お互いの意見を交換できたということでよろしいかと思います。
前回、2点提起させていただいた件ですが、新聞論説2例について、それによって世論に大きな影響がないというお説ですが、世論はマスコミの影響をほとんど受けないということでしょうか?TVの影響は大きいだろうとは実感してますが、個人的には報道内容をほとんど追跡できません。この件は単に文意の確認ですので、軽くお答えいただければ結構です。
私としましては社説・論説は決して世論の後追いだけではない、対系列内メデアも含めオピニオンリーダーのひとつであるという前提で引用したのです。また政府についても言えることですが各メデアは、あのような時期に冷静・抑制的なメッセージを表明することも期待機能の一つだと考えております。実際は万人の期待通りにはならない点も、対メデア批判が出てくる所以ですが。社会学的には、TV,Net,週刊誌、口コミなどを含め厳密に分析するのが正しいのでしょうが、個人的な制約もあり現在の方法をとっています。
いったんわき道にそれますが、今回ご意見の『「自作自演容疑練り上げ」「感情に走りすぎた自己責任追求」は、主にネットを舞台として個人レベルで展開されたものであり、これらは後づけでマスコミから取り上げられたにすぎません。』については反論させていただきます。自作自演説の緒端がNetであり急速に拡散したことは承知しておりますが、その拡大のネタを与える形になったり、一般国民向けに発信していったのが、産経、読売、共同、週刊新潮、週間文春などです。女性週刊誌では高名なお方が、数十億円を月賦でも返済しろと発言してますが、これも影響力は大きく惨い例だと思います。TVについては先ほどのように、十分把握できていませんのでここでは除外させてください。
2点目に戻りますが、前回の試論に雑なところもありますので、もう一度整理したいと思います。
まず命題を「政府批判は、批判対象の結果が公然になるまで待つべきかどうか?」としたいと思います。
個人に対するけん責、疑惑追及は憲法および各法で制限を受けるものです。今回の事件では一部国民、マスコミの逸脱が見られたが、政府、その他マスコミ、その他世論は逸脱を抑止できなかった、あるいは黙認した。(ここでは、あえて加担したとは書きません)。ここで制限とは、事実による立証義務です。
政府機関に対する批判、あるいは疑惑追及は民主主義社会において国民の権利であり、倫理上の節度を有す限りは認められていると考えています。政府の施策が誤りであるという結果を待つこと、あるいは立証義務は必要ないはずです。三権およびマスコミは本来、強い権力を有しているからです。これが私の結論です。
前回、ここで政府批判の例として、私の行っているポピュリズム批判、関連するマスコミスクラム批判をあげてしまいましたのでご理解できなかったことと思います。お詫びします。発端は鬼頭氏のコメントでしたね。
Raru様もここで法律的な議論をする意図でなく、意見として述べられたことは理解できましたので、一区切りだと思いますが、どうでしょうか?
議論さるべき本質的な問題は、国民の人命と国策決定の関係だと思いますが、鬼頭氏の発言あるいは人質に対する非難・擁護といった現実的な流れとは切り離し、単独にしたほうが良いと考えております。なかなか重たいテーマなのですが、提起できるようになったらしてみようと思っております。
では。
これは メッセージ 230180 (raru_babu さん)への返信です.
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