迷走する国防私論
投稿者: pattsy_mint_1010t 投稿日時: 2004/06/22 20:58 投稿番号: [205441 / 280993]
先日、『非核を叫ぶは女子供のたわ言?』の自分の結びのレスで、
「専守防衛のための限定の軍備」を持ち、
男女を問わず「武器や戦闘における予備知識と経験を持つ」為の「徴兵制の導入」、
専守防衛に徹するために、「侵略を目的とするような大量破壊兵器や核兵器は放棄、やむをえず、国土を攻撃してくるミサイル等への迎撃、撃墜のための研究のみ、苦渋の決断で可とする」
・・・などなど、およそらしからぬことばかりを申し立てました。
そのせいか、なんか気が滅入ってる・・・。参りました。
上の文については、私としては最悪の事態を想定した場合の極論で、例えば朝鮮戦争や、ボスニア・ヘルツェゴビナなどで起こったような、国土全体が巻き込まれる地獄のような戦争に備えての国防論でありました。将来的にそれがないとは限りませんが、何か割り切れなくて、今もその気持ちを引きずってます。
やはり、自分で考えたことながら、間違っているような気がしてならない。
9条護憲派で、武力は放棄・・・がもともとのスタンスでありましたし、それが非現実的な空論に過ぎないと理解しようとは思うのですが、自分の心の拠り所が揺らいでいくようで、心身の安定を保つことが出来ないことを自覚した。
ただ、「敵が攻めて来たら逃げればいい」とも思えない。逃げてはいけない気がする。
では、どうすればいいのか?
私の理想は、ガンジーの非暴力独立運動の中にヒントを見出すということ。
その道は誰よりもまず自分自身に対して厳しい道ではなかろうか。
武器を手にとりたがるのは、愚かで弱い人間。
あえて武器を持たない、暴力に訴えない、でも逃げない・・・こんなにも強い精神を持って、その道を選択できる人々を尊敬せずにはいられない。
民族の誇り、尊厳を言うならこの道を選ぶことこそが、敵にも己自身にも一番強くアピールできる。
日本人にも、かように不屈の高潔な強い精神を見出したい。そもそも大和魂とはそのように崇高なものではなかったのだろうか?
ただ、やはり非常に厳しく困難な道ではある。
空論なのだろうか?
これは メッセージ 204258 (pattsy_mint_1010t さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/a5a4a5ia5afa4gffckdcbfm94bab_1/205441.html