>>>>>子供達には
投稿者: sironeko_kuroneko_ti_ku 投稿日時: 2004/06/02 16:42 投稿番号: [193215 / 280993]
>話の元は佐世保事件ですよねぇ?
道徳教育のベースだ、と書いてあったので同意いたしました
感情なり、感覚が自分のなかになければ、教育など、理屈の丸暗記で終わってしまうのではないでしょうか
そういう意味で、身近なものの死を見届けるのは、人間性のベースになる経験だと思います
>あの…意味分かりません。
それに、撤回して欲しいとも言ってませんし…謝罪を求めた覚えもありませんよ?
onnano_kanさんの表現に
>>
なんだかちょっと納得できない。
死を精神教育的教材として扱うのは違うんじゃないかと・・・
>>
と、ありましたので
非難の意味があるように感じましたので、そのような表現になりました
誤解でしたら、お許しください
死に対する感受性は様々でしょうから、ペットをお飼いかどうかお尋ねいたしました
お飼いになっていれば、共通する感情もあるかと思います
>他者の死によって、自分の生がいとおしいは違うかも?
言葉が足らなかったようです
身近なものの死によって、身近なものの生が、いとしくなり
自分自身の生命の危機によって、自分の生命がいとしくなる
ということを表現しようとしました
「他者」を、どこまで自分自身のこととして感じることができるかは、個人差があるのかもしれません
「他者」を、生きた存在として感じられない、また、その「他者」を愛している人もいるということに思い至らないことが、生命軽視の犯罪の原因の一つではないでしょうか
「他者の死」に対する感情を、普段かわいがっているペットの死によって自分の中に生じる感情によって、推し量ることも出来るのではないかという思いです
失われた命は帰ってこない、ということを、自分自身のこととして感じるには、やはり、身近な者の死を経験するしかないのでは
人はいつか死ぬ、ということを抜きにして、生を語ることを否定しません
しかし、愛する者の死を経験した心の痛みを知らなければ、他者の死を理解することはできないのでは
これは メッセージ 193182 (onnano_kan さん)への返信です.
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