>疑わしきは罰せず
投稿者: raru_babu 投稿日時: 2004/06/02 14:51 投稿番号: [193109 / 280993]
dankai55さん、はじめまして。
いつもご意見を興味深く拝読しております。
日ごろオフラインで出会う人々からも、
「常識」という言葉の持つ曖昧さ、幅広さにはいたく感心して来ましたが、
今回の事件に対するネット上での人々の反応を見るにつけ、
これまで以上に痛感するに至りました。
多くの方が様々なご意見について「そんなの常識だ」という言い方をされましたけど、
まあずいぶんといろいろな常識があるものだ、という感慨に近いものがあります。
じじばばの言葉で思い出したのですが、
たとえばわたしが子供の頃には
「火遊びをすると寝小便をする」
という迷信を周りの大人がよく口にしたものです。
実際には、火遊びをした子供がその日の夜に寝小便をしたかどうかという
統計的資料はわたしの知る限りありませんし、
わたし自身の経験に照らしてみても、
火遊びと寝小便との間に特別な因果関係はなかったと言い切れます。
もちろんこれは「迷信」であると同時に、
幼い子供たちに危険を教えるための一つの脅しであり、
特に紙と木を多用した旧来の日本式家屋で生活する上では、
火災の危険を未然に防ぐための大変有効な教育の一部でした。
わたし自身が実際に何歳頃までこの教えを信じていたかは覚えていませんが、
「火」の扱いには細心の注意をせよ、というこの教えの本質については、
今でもわが身に刷り込まれていると感じる瞬間が日常生活の上で多々あります。
いわゆる三つ子の魂というやつで、幼い頃に刷り込まれた規範というものは
成長しても消え失せるということはないのですね。
今回の事件の被害者たちの取った行動について、
わたしは危険の可能性を未然に検討する能力に強い疑問を感じました。
退避勧告地域へ出かけて行くことが何を意味するのか、
彼ら自身によって本当に細心の検討がなされたのかどうか、ということです。
起こり得る危険を可能な限り予測し、
それらに対して自分はどの程度の対応をし得るのか、
その危険が現実的に自分の手に負えるものなのかどうか。
火遊びの例に戻って言えば、
庭先でちょっと花火や焚き火をしたいと思った時に、
周囲に燃えやすいものがないかどうかを確認する。
バケツに水を用意して、万が一の場合にはすぐに消火できるよう準備をする。
良識ある成人であれば、ほとんどの人がこれらの点に無意識のうちに留意できる。
小さな子供に対してであれば、
「おねしょをするぞぅ」と不条理な脅しをかけて制しなければならないものでも、
20代、30代の大人であれば、ある程度結果を予測して、
危険を未然に防ぐための判断力が要求されます。
特に今年に入ってから事件当日に至るまでのイラク情勢について、
特にイラクに強い関心を持って渡航を考えるに至った人たちであれば、
起こり得る危険について慎重に検討を重ねるのは当然のことです。
現実的に、事実上の戦闘地域へ足を踏み込む決意をした以上、
想定される危険に際して自分自身がどこまで対応できるのかを考えた場合、
よほど自分の装備や戦闘能力に自信がなければ、
一個人の手に負えるものではないことは明らかです。
それでも「行く」ことを選んだ以上、
それは死を覚悟で行くということです。
それなら命乞いをするなよ、というのが、
日本人の多くが感じた不快感の一端でしょう。
刃物を突きつけられて脅された時に、たとえ殺されても
「ノー・コイズミ」と叫ばない自信のある者だけ、
戦乱のイラクへ行けば良い。
実際にはそこまで出来る人間はほとんどいないと思いますが、
だったらそんなところへわざわざ行かなければいい。
実際に、行かない人の方が多いわけですから。
彼らがそれでも行くというのであれば、誰にも止めることは出来ません。
ただ、国策として議論に議論を重ねた末に
派遣を決めた自衛隊について、
いまだに異論を唱え続けていることについては
根本的に何か勘違いがあるのではないかとさらに違和感を感じます。
彼らは既に解放された「元」人質であって、
現在もなお生命の危険を脅かされている現役の人質ではない。
自衛隊派遣の是非について、特別の発言権を持った存在ではないのです。
彼らの弁をそのまま採用するなら、
民間人が足を踏み入れる可能性のある地域には、
自衛隊を派遣できないことになってしまう。
国策、外交政策は前提条件と捉えた上で、
その地域への渡航を検討するのが順序だと思いますし、
国策自体が間違っていると主張するのであれば、
まず国内でその国策に関する議論に勝たなければなりません。
イラクへ行き、危険に巻き込まれ、
いつもご意見を興味深く拝読しております。
日ごろオフラインで出会う人々からも、
「常識」という言葉の持つ曖昧さ、幅広さにはいたく感心して来ましたが、
今回の事件に対するネット上での人々の反応を見るにつけ、
これまで以上に痛感するに至りました。
多くの方が様々なご意見について「そんなの常識だ」という言い方をされましたけど、
まあずいぶんといろいろな常識があるものだ、という感慨に近いものがあります。
じじばばの言葉で思い出したのですが、
たとえばわたしが子供の頃には
「火遊びをすると寝小便をする」
という迷信を周りの大人がよく口にしたものです。
実際には、火遊びをした子供がその日の夜に寝小便をしたかどうかという
統計的資料はわたしの知る限りありませんし、
わたし自身の経験に照らしてみても、
火遊びと寝小便との間に特別な因果関係はなかったと言い切れます。
もちろんこれは「迷信」であると同時に、
幼い子供たちに危険を教えるための一つの脅しであり、
特に紙と木を多用した旧来の日本式家屋で生活する上では、
火災の危険を未然に防ぐための大変有効な教育の一部でした。
わたし自身が実際に何歳頃までこの教えを信じていたかは覚えていませんが、
「火」の扱いには細心の注意をせよ、というこの教えの本質については、
今でもわが身に刷り込まれていると感じる瞬間が日常生活の上で多々あります。
いわゆる三つ子の魂というやつで、幼い頃に刷り込まれた規範というものは
成長しても消え失せるということはないのですね。
今回の事件の被害者たちの取った行動について、
わたしは危険の可能性を未然に検討する能力に強い疑問を感じました。
退避勧告地域へ出かけて行くことが何を意味するのか、
彼ら自身によって本当に細心の検討がなされたのかどうか、ということです。
起こり得る危険を可能な限り予測し、
それらに対して自分はどの程度の対応をし得るのか、
その危険が現実的に自分の手に負えるものなのかどうか。
火遊びの例に戻って言えば、
庭先でちょっと花火や焚き火をしたいと思った時に、
周囲に燃えやすいものがないかどうかを確認する。
バケツに水を用意して、万が一の場合にはすぐに消火できるよう準備をする。
良識ある成人であれば、ほとんどの人がこれらの点に無意識のうちに留意できる。
小さな子供に対してであれば、
「おねしょをするぞぅ」と不条理な脅しをかけて制しなければならないものでも、
20代、30代の大人であれば、ある程度結果を予測して、
危険を未然に防ぐための判断力が要求されます。
特に今年に入ってから事件当日に至るまでのイラク情勢について、
特にイラクに強い関心を持って渡航を考えるに至った人たちであれば、
起こり得る危険について慎重に検討を重ねるのは当然のことです。
現実的に、事実上の戦闘地域へ足を踏み込む決意をした以上、
想定される危険に際して自分自身がどこまで対応できるのかを考えた場合、
よほど自分の装備や戦闘能力に自信がなければ、
一個人の手に負えるものではないことは明らかです。
それでも「行く」ことを選んだ以上、
それは死を覚悟で行くということです。
それなら命乞いをするなよ、というのが、
日本人の多くが感じた不快感の一端でしょう。
刃物を突きつけられて脅された時に、たとえ殺されても
「ノー・コイズミ」と叫ばない自信のある者だけ、
戦乱のイラクへ行けば良い。
実際にはそこまで出来る人間はほとんどいないと思いますが、
だったらそんなところへわざわざ行かなければいい。
実際に、行かない人の方が多いわけですから。
彼らがそれでも行くというのであれば、誰にも止めることは出来ません。
ただ、国策として議論に議論を重ねた末に
派遣を決めた自衛隊について、
いまだに異論を唱え続けていることについては
根本的に何か勘違いがあるのではないかとさらに違和感を感じます。
彼らは既に解放された「元」人質であって、
現在もなお生命の危険を脅かされている現役の人質ではない。
自衛隊派遣の是非について、特別の発言権を持った存在ではないのです。
彼らの弁をそのまま採用するなら、
民間人が足を踏み入れる可能性のある地域には、
自衛隊を派遣できないことになってしまう。
国策、外交政策は前提条件と捉えた上で、
その地域への渡航を検討するのが順序だと思いますし、
国策自体が間違っていると主張するのであれば、
まず国内でその国策に関する議論に勝たなければなりません。
イラクへ行き、危険に巻き込まれ、
これは メッセージ 192994 (dankai55 さん)への返信です.
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