自己責任の歴史 2
投稿者: pattsy_mint_1010t 投稿日時: 2004/06/02 00:12 投稿番号: [192834 / 280993]
朝書き写してた記事の続き。もうあまり長くはないですよ。(続く) って言った以上書かなきゃと思って書いてるので、辛抱して読まなくてもいいです。しかも、実際の歴史的検証の部分はほとんど 1 の方で収まってますので、そちらのほうに興味のある方は、むしろ 1 の方を読むことをお勧め。
では、
この十〜二十年続く新自由主義的な競争社会。事件への反応は、そのストレスの爆発でもあったようだ。
「『自分で背負え』『クビになってもおまえが悪い』というシステムが強まっている。本当ならシステムを批判すればいいのだが、ぎりぎり頑張っている人は多い。そこに今回の人質のように違うルールで動く人達が現れると、『おまえだけ自己責任を回避するのか』と敵意が集中する」
そのメカニズムから生じる人質への批判はフ複雑にねじれる。「人のために」という彼らの姿勢は正面から否定出来ない。「正義と言って実は・・・」という悪口が好まれ、さらに「自己責任」の理屈がつけば格好がつく。
「でも自己責任と非難した人達を、ただ批判したくない。彼ら自身も自己責任と言われ続けている」と立岩は強調する。「つらさの中で逆にシステムを守ろうとする悲しさがある。もっと人々が楽になれる合理的なシステムがあると説得することが大切だと思う」
本当に問うべき「責任」とは何か。暗い気分が社会を覆っているならば、その暗さに向き合うことが出発点かもしれない。
(敬称略)
2004年(平成16年)5月31日 京都新聞 朝刊
文化面 より
個人的な問題だったけど、自分の中の「自己責任」って言葉に対する違和感について、カウンセリング受けた気分。(特に前半の記事で)
mutekikougun さんだったかな?同じような指摘をくれた人。・・・ やっぱ経済用語だったんですねー。
これは メッセージ 192291 (pattsy_mint_1010t さん)への返信です.
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