「私が見た人質拘束事件」
投稿者: higasitoyokazu 投稿日時: 2004/05/09 03:24 投稿番号: [171563 / 280993]
「私が見た人質拘束事件」
国の責任隠しの「自己責任論の喧伝」は、身近なところから叩かれお粗末な結果に至っているが、
マスメディアの責任はというと、未だ事件を利用し自分たちの主義主張と営業活動に勤しんでいるように思える。
また責任を逃れるかのように、矛先をかえ意図的な責任隠しを行っているようも窺える。
私は、この事件が起こる前から、「アンチヒーロー(悪役)を求める時代」がやってくると直感していた。
それは以前は、「ヒーロー不在」「ヒーロー待望論」など言われていたが、近年、個々にヒーローは存在し
我こそはヒーロー(正義であり正論)と振舞う輩が多くいることを認識していたからだ。
また自分の言動によって受け手に解釈されるものと考えられる中正であるという輩も多く
それはたいへん扱いにくく、ポジションを明確する上においてアンチヒーローが必要であるとも感じてもいたからだ。
そして人質拘束者はメディア等によって、みごとに悪役に仕立てられ人々のスケープゴートとして、
またはサンドバックとして大いに活躍した。
けれども、この状況は異常であるとしかいいようがない。私はある種狂気に恐怖した。
見解なき意見。表現なき代弁者。責任なき責任追及。意味なき意味の変容。言論の不自由。等如何に多いことか。
そして私はすっかり慣性が勝ってしまった。
今回の人質拘束事件の国を含めたサポーターとその対極にいるものの多くが、非理性に陥っていると感じていたからだ。
ただご家族にあのような状況下においては北朝鮮拉致家族の方々同様に(私は)理性は求めぬが・・・。
慣性が勝ったというのはどういうことかというと、私には関係ない。しかし彼らは国の一部である国民でなんとか助かって欲しい。
たとえ個人と国家という問題を彼らは意識していなくても・・・。
そのためにデモでも署名でもなんでもやると行動する人がいるだろう。と単に分析することであった。
結果、みえない国の力を借り、彼らの為人と民衆レベルのやりとり等で、彼らを救出することが出来た。
しかし私は、本当のことを言うと当初、拘束された彼らがファルージャやイラクの人々の命を等値に考えていた人であり、
姑息にも自分の命が助かりさえすればよいとする人ではないと思い、
日本の国民並びにイラクや世界の国々に『死に様』から『生き様』を啓示してくれるものと期待していたからだ。
それは彼ら自身の責任と覚悟を感じたからだ。
幸いのことに一連のイラク人質拘束事件は5人全員が無事に帰国した。
しかし多くのものは相変らず『自己責任』は口にするものの、謝罪・感謝の言葉と救出費用請求以外に
具体的に彼らのとるべき責任は示されていないように思う。
また擁護派ととれるものは相変らず、自分の信じているものに対しては理詰めし正当性を主張しているかのように思う。
これは新興宗教の布教活動の如く、倫理的に『良い事とされるべき事柄』という大前提からなる言動からたくさんの誤解をまねき
不快感を人々に与えたことの学習のなさを露呈しているかのように思えてならない。
擁護派ととれるものの正しいと思われることも狡智、詭計に多くの人が感じるのは
そうした自覚と認識のないところからの言動であると直感するからであろう。
擁護派ととれるものが、今回の事件と同様に数十年におよぶ北朝鮮拉致事件等に感情移入できていればと残念に思う。
他者の苦しみに対する想像力をもち、思いやりをもって北朝鮮拉致事件等をとらえる力があれば言動もかわっていたのではないか。
思いやりを欠いた社会に生きることは誠に重苦しいものである。
また自分の世界のみを重んじる傾向は エゴイズムにしかみえないものである。
また、このような社会であるから、近くの自国で起こっている犯罪や暴力で苦しむ人々に対して、無関心にもみえる現状がある。
沖縄の苦しみ、北朝鮮拉致被害者らの苦しみ、等は当事者にしか理解し得ない一刻の猶予も許されない事柄である。
このことはイラクの現状となんらかわらないことは言うまでもない。
コピペです
国の責任隠しの「自己責任論の喧伝」は、身近なところから叩かれお粗末な結果に至っているが、
マスメディアの責任はというと、未だ事件を利用し自分たちの主義主張と営業活動に勤しんでいるように思える。
また責任を逃れるかのように、矛先をかえ意図的な責任隠しを行っているようも窺える。
私は、この事件が起こる前から、「アンチヒーロー(悪役)を求める時代」がやってくると直感していた。
それは以前は、「ヒーロー不在」「ヒーロー待望論」など言われていたが、近年、個々にヒーローは存在し
我こそはヒーロー(正義であり正論)と振舞う輩が多くいることを認識していたからだ。
また自分の言動によって受け手に解釈されるものと考えられる中正であるという輩も多く
それはたいへん扱いにくく、ポジションを明確する上においてアンチヒーローが必要であるとも感じてもいたからだ。
そして人質拘束者はメディア等によって、みごとに悪役に仕立てられ人々のスケープゴートとして、
またはサンドバックとして大いに活躍した。
けれども、この状況は異常であるとしかいいようがない。私はある種狂気に恐怖した。
見解なき意見。表現なき代弁者。責任なき責任追及。意味なき意味の変容。言論の不自由。等如何に多いことか。
そして私はすっかり慣性が勝ってしまった。
今回の人質拘束事件の国を含めたサポーターとその対極にいるものの多くが、非理性に陥っていると感じていたからだ。
ただご家族にあのような状況下においては北朝鮮拉致家族の方々同様に(私は)理性は求めぬが・・・。
慣性が勝ったというのはどういうことかというと、私には関係ない。しかし彼らは国の一部である国民でなんとか助かって欲しい。
たとえ個人と国家という問題を彼らは意識していなくても・・・。
そのためにデモでも署名でもなんでもやると行動する人がいるだろう。と単に分析することであった。
結果、みえない国の力を借り、彼らの為人と民衆レベルのやりとり等で、彼らを救出することが出来た。
しかし私は、本当のことを言うと当初、拘束された彼らがファルージャやイラクの人々の命を等値に考えていた人であり、
姑息にも自分の命が助かりさえすればよいとする人ではないと思い、
日本の国民並びにイラクや世界の国々に『死に様』から『生き様』を啓示してくれるものと期待していたからだ。
それは彼ら自身の責任と覚悟を感じたからだ。
幸いのことに一連のイラク人質拘束事件は5人全員が無事に帰国した。
しかし多くのものは相変らず『自己責任』は口にするものの、謝罪・感謝の言葉と救出費用請求以外に
具体的に彼らのとるべき責任は示されていないように思う。
また擁護派ととれるものは相変らず、自分の信じているものに対しては理詰めし正当性を主張しているかのように思う。
これは新興宗教の布教活動の如く、倫理的に『良い事とされるべき事柄』という大前提からなる言動からたくさんの誤解をまねき
不快感を人々に与えたことの学習のなさを露呈しているかのように思えてならない。
擁護派ととれるものの正しいと思われることも狡智、詭計に多くの人が感じるのは
そうした自覚と認識のないところからの言動であると直感するからであろう。
擁護派ととれるものが、今回の事件と同様に数十年におよぶ北朝鮮拉致事件等に感情移入できていればと残念に思う。
他者の苦しみに対する想像力をもち、思いやりをもって北朝鮮拉致事件等をとらえる力があれば言動もかわっていたのではないか。
思いやりを欠いた社会に生きることは誠に重苦しいものである。
また自分の世界のみを重んじる傾向は エゴイズムにしかみえないものである。
また、このような社会であるから、近くの自国で起こっている犯罪や暴力で苦しむ人々に対して、無関心にもみえる現状がある。
沖縄の苦しみ、北朝鮮拉致被害者らの苦しみ、等は当事者にしか理解し得ない一刻の猶予も許されない事柄である。
このことはイラクの現状となんらかわらないことは言うまでもない。
コピペです
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/a5a4a5ia5afa4gffckdcbfm94bab_1/171563.html