cartesien21さんへ
投稿者: hana117hana 投稿日時: 2004/05/08 21:04 投稿番号: [171067 / 280993]
cartesien21さんのお考えは判りました。
ただ、一言だけ。
>強い批判を招いたから彼らが謝罪すべきだということにはならない。
反省と謝罪は似て異なるものです。
謝罪は「罪を謝ること」であり、反省は「振り返って考えること」です。
批判を受けるということは、異なる価値観においての問題と受け止められた点を指摘される
と言う事です。
批判を招いたから反省をすべきなのではなく、
なぜ批判(異なる視点での問題点)を受けたのか、批判を参考に異なる価値観での視点を
含めて省みる必要がないでしょうかと問いかけているのです。
尚、誤解のないように補足すると、反省=批判への同意(価値観への否定) ではありません。
「異端者排除」だと言って総ての批判をシャットアウトする事は簡単です。
しかし、世の中には様々な価値観があります。
どれかが間違っていて、どれかが正しい訳ではないのです。
他者からの批判を甘受すると言う事は、
違う価値観に基づいた意見があると認識するという事だと思います。
私も謂れのない中傷・口汚い批判を是とする気はありません。
しかし、口にしなければ考えは伝われないし、
異なる価値観を認めた上でなければ、理解しあう事も出来ないのだと思います。
ある価値観においては是とされることが、別の価値観では非される事もあります。
相手から非とされた時に、そんな考え方は間違っていると相手を否定したら対立しか生みません。
別の価値観での見方を知っていれば、なぜ相手はそのように考えるのか考える事によって、
その中から、お互いのベストじゃないまでも、ベターな道を模索する事が出来ます。
ですから、どんなに差のある価値観に基づいて意見(批判)されたとしても、その意義まで
否定しないで欲しいのです。
それでも場合によっては、相手の価値観では責められて当然の事をする選択をする事が
あります。例えば今回も、cartesien21さんの価値観では非とする、彼らに対する批判(意見)を
私はあえて述べました。
なぜ、非とされる事を、どのような考え方に従って選択したか理解を求める為の努力はしますが、
私は別の価値観では非難されても致したかないと認識している分、非難は甘受します。
自分の価値観では是である以上、相手に対してそれ以外の責任が取りようがない
と思うからです。
そして、最後に申し上げますと、私は政府に世論が誘導されたとは思いません。
なぜならば、私は事件の一報の時点で、
「可哀想だけれども、もしも助からなくても自分の行動の結果だから仕方がない」と
既に考えていたからです。
もちろん「助かって欲しい」と思っていましたし、今は「無事でよかった」とも考えております。
「異端者排除の心理が働いた」と言われれば、それまでですが…
ただ、一言だけ。
>強い批判を招いたから彼らが謝罪すべきだということにはならない。
反省と謝罪は似て異なるものです。
謝罪は「罪を謝ること」であり、反省は「振り返って考えること」です。
批判を受けるということは、異なる価値観においての問題と受け止められた点を指摘される
と言う事です。
批判を招いたから反省をすべきなのではなく、
なぜ批判(異なる視点での問題点)を受けたのか、批判を参考に異なる価値観での視点を
含めて省みる必要がないでしょうかと問いかけているのです。
尚、誤解のないように補足すると、反省=批判への同意(価値観への否定) ではありません。
「異端者排除」だと言って総ての批判をシャットアウトする事は簡単です。
しかし、世の中には様々な価値観があります。
どれかが間違っていて、どれかが正しい訳ではないのです。
他者からの批判を甘受すると言う事は、
違う価値観に基づいた意見があると認識するという事だと思います。
私も謂れのない中傷・口汚い批判を是とする気はありません。
しかし、口にしなければ考えは伝われないし、
異なる価値観を認めた上でなければ、理解しあう事も出来ないのだと思います。
ある価値観においては是とされることが、別の価値観では非される事もあります。
相手から非とされた時に、そんな考え方は間違っていると相手を否定したら対立しか生みません。
別の価値観での見方を知っていれば、なぜ相手はそのように考えるのか考える事によって、
その中から、お互いのベストじゃないまでも、ベターな道を模索する事が出来ます。
ですから、どんなに差のある価値観に基づいて意見(批判)されたとしても、その意義まで
否定しないで欲しいのです。
それでも場合によっては、相手の価値観では責められて当然の事をする選択をする事が
あります。例えば今回も、cartesien21さんの価値観では非とする、彼らに対する批判(意見)を
私はあえて述べました。
なぜ、非とされる事を、どのような考え方に従って選択したか理解を求める為の努力はしますが、
私は別の価値観では非難されても致したかないと認識している分、非難は甘受します。
自分の価値観では是である以上、相手に対してそれ以外の責任が取りようがない
と思うからです。
そして、最後に申し上げますと、私は政府に世論が誘導されたとは思いません。
なぜならば、私は事件の一報の時点で、
「可哀想だけれども、もしも助からなくても自分の行動の結果だから仕方がない」と
既に考えていたからです。
もちろん「助かって欲しい」と思っていましたし、今は「無事でよかった」とも考えております。
「異端者排除の心理が働いた」と言われれば、それまでですが…
これは メッセージ 170242 (cartesien21 さん)への返信です.
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