命と必死さ
投稿者: southside605jp 投稿日時: 2004/04/21 19:45 投稿番号: [115637 / 280993]
何度も言うようにボランティアは立派なことです。
その崇高な精神は尊敬に値します。
ぼくなど、しがない自営業者で、
イラクのことよりも自分のことでアタマがいっぱいです。
けれど、そのくせここには書き込みをしている。
たぶん、そこには疚しさがあるのだと思うのです。
アラブの石油をがぶ飲みしなければやっていけない日本の現状。
それにどっぷりと漬かっている自分の生活。
貧困や飢餓に苦しむ人はかわいそうだなあと思いつつも、
毎日、いいものとは言わなくとも、
飢える心配なく腹いっぱい食べられること。
そういうことがあるから、
ここに書きこんで、
あたかも自分もいろいろなことを考えていると、
信じたいのかもしれない。
多分、被害者を中傷誹謗できる人も、
僕と同じように、
本当は他の国で起こっているだろう
できことを思うとき、
なんとかならんのかと思っているのかもしれない。
けれど、何もできないから、
どこかに疚しさがあるから、
あんなことができるのだろうと思う。
だからこそぼくは、
中傷・誹謗をする人のことが信じられない。
なぜ被害者に鞭を打つようなことをするのか、
僕にはわからない。
そして、
いまでも変わらないのは、
ボランティアをやる人のことを僕は尊敬しつつも、
どこかに不信感がある。
とても複雑な心境です。
あなたとやり取りをして、
僕の好きな、日高六郎先生が
学生時代に読んだ本のなかで、
このように書かれていたことを
思い出しました。
「正しさとやさしさが結びつくとき
それは人を感動させる。
正義の旗の下でやさしさが欠けるとき
人はせいぜい尊敬しながら
遠ざかろうとする。
正義という大義名分が
実はそれが不正であったときはおそろしい。
それがまさしく正義であっても
なおやさしさが必要である。
もちろん、やさしさだけでは自他を不幸に導く。
やさしさとは
おそらくは人間が有限の存在でしかないことの
認識である。」
このことは、
ボランティアの人も、
政府の人も、
被害者もその家族も、
被害者を擁護する人も、
バッシングする人も、
すべての人に読んでもらいたいと思う。
色々な立場から、
いろいろな角度からものを見て、
話をすることはとても難しい。
だからこそ、
僕は今になって
日高先生の話を思い出したしだいです。
これは メッセージ 115381 (garuru55555 さん)への返信です.
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