自己責任(2)
投稿者: oixkozo 投稿日時: 2004/04/14 22:22 投稿番号: [479 / 649]
貴方の家族が何らかの紛争で、危機に晒されている時に、
貴方が助けに行けば、助かる可能性があっても、
貴方は、自分の身の安全が確保されないと助けに行かない。
誰かが、「貴方は、なぜ助けなかったのか」と問い詰められると、
貴方は、「政府が退避勧告を出したからだ」と、答える。
貴方は、政府を告発する勇気が無いから、
この災難は、家族の自己責任の問題として、語るだろう。
人質となった3人は、貴方よりは、感性が豊かで、人一倍責任感が強い。
イラクで、紛争に苦しむ人たちの問題を、他人事として考えることが出来ない。
そして、彼らは、貴方よりは遥かに勇気があったから、
紛争で苦しむイラクの人々を、助けに向わざるを得なかった。
貴方が、批判しているのは、彼らの豊かな感性と責任感・勇気である。
貴方は、「なぜ、紛争で苦しむイラクの民衆を見殺しにしないのか」と批判する。
「イラクの民衆を助けるためには、重武装して脅かさなければならない」と助言する。
なぜ、「イラクは平和に向っている」という政府の嘘を、
「退避勧告で見抜けなかったのか」、と自問する。
「平和は丸腰のボランテイアが産み出すのじゃなく、
重武装した自衛隊と政府が生み出すのだから、
日本のボランテイアは、国内の安全な場所で、祈りでもしていろ」と、断言する。
これが、貴方の感性・責任感・勇気である。
ボランテイアというものは、重武装してやるものじゃない。
紛争地帯において、重武装して乗り込めば、
例え、どんな意図があろうと、紛争の一方の当事者になってしまう。
紛争を調停したり、紛争で苦しむ人を助けようとするならば、
双方の良心と人間性を信じて、白旗を持ちながら、丸腰で行くのが常識だ。
丸腰の彼らが人質になった責任は、彼らが丸腰であったからではなく、
米軍が大量虐殺を開始したことによって、
それを支持する日本政府への怒りが、増幅したことにある
退避勧告が出されていても、現在とは違って、人質事件は、まだ、起きていなかった。
世界でも日本でも、主権の委譲によるイラクの「平和と民主化」への空想はまだ生きていた。
イラク国内には、まだ数多くの日本人と外国人は残っており、
退避しつつあるわけではなかった。
従って、彼らが、「イラクの平和のために活動できる」と判断しても、不自然ではない。
米軍のファルージャにおける大量虐殺に見られるように、
政府と軍の勝手な判断に任せては、世界平和は、いつまでも実現しない。
自分の感性・責任感・勇気で、一人一人が判断し、決断しなければならない。
その点では、確かに、ボランテイアには、自己責任が求められる。
問題なのは、米軍の大量虐殺と、それを支持する日本政府のために、
彼らのイラクへの熱意と願いが、ずたずたに引き裂かれた事にある。
あちこちの掲示板で、「自己責任論」が議論されている。
これは、まともな「自己責任論」じゃなく、
大量虐殺した米軍と日本政府の責任を、覆い隠そうとする心理現象だ。
この心理現象は、人質となった3人の感性・責任感・勇気への、ジェラシーでもある。
己の、卑屈で卑怯で、無責任な感性を、弁護しようとする、心理現象でもある。
人間にとって、一番大事なことは、人質となって苦しんでいる人達を、更に苦しめて、
憂さを晴らすのじゃなく、己を知ることこそが、肝心な事である。
欠けているのは、ボランテイアの自己責任じゃなく、米軍と日本政府の自己責任であり、
「自己責任論」を追及して自己満足している貴方達の、自己責任である。
貴方が助けに行けば、助かる可能性があっても、
貴方は、自分の身の安全が確保されないと助けに行かない。
誰かが、「貴方は、なぜ助けなかったのか」と問い詰められると、
貴方は、「政府が退避勧告を出したからだ」と、答える。
貴方は、政府を告発する勇気が無いから、
この災難は、家族の自己責任の問題として、語るだろう。
人質となった3人は、貴方よりは、感性が豊かで、人一倍責任感が強い。
イラクで、紛争に苦しむ人たちの問題を、他人事として考えることが出来ない。
そして、彼らは、貴方よりは遥かに勇気があったから、
紛争で苦しむイラクの人々を、助けに向わざるを得なかった。
貴方が、批判しているのは、彼らの豊かな感性と責任感・勇気である。
貴方は、「なぜ、紛争で苦しむイラクの民衆を見殺しにしないのか」と批判する。
「イラクの民衆を助けるためには、重武装して脅かさなければならない」と助言する。
なぜ、「イラクは平和に向っている」という政府の嘘を、
「退避勧告で見抜けなかったのか」、と自問する。
「平和は丸腰のボランテイアが産み出すのじゃなく、
重武装した自衛隊と政府が生み出すのだから、
日本のボランテイアは、国内の安全な場所で、祈りでもしていろ」と、断言する。
これが、貴方の感性・責任感・勇気である。
ボランテイアというものは、重武装してやるものじゃない。
紛争地帯において、重武装して乗り込めば、
例え、どんな意図があろうと、紛争の一方の当事者になってしまう。
紛争を調停したり、紛争で苦しむ人を助けようとするならば、
双方の良心と人間性を信じて、白旗を持ちながら、丸腰で行くのが常識だ。
丸腰の彼らが人質になった責任は、彼らが丸腰であったからではなく、
米軍が大量虐殺を開始したことによって、
それを支持する日本政府への怒りが、増幅したことにある
退避勧告が出されていても、現在とは違って、人質事件は、まだ、起きていなかった。
世界でも日本でも、主権の委譲によるイラクの「平和と民主化」への空想はまだ生きていた。
イラク国内には、まだ数多くの日本人と外国人は残っており、
退避しつつあるわけではなかった。
従って、彼らが、「イラクの平和のために活動できる」と判断しても、不自然ではない。
米軍のファルージャにおける大量虐殺に見られるように、
政府と軍の勝手な判断に任せては、世界平和は、いつまでも実現しない。
自分の感性・責任感・勇気で、一人一人が判断し、決断しなければならない。
その点では、確かに、ボランテイアには、自己責任が求められる。
問題なのは、米軍の大量虐殺と、それを支持する日本政府のために、
彼らのイラクへの熱意と願いが、ずたずたに引き裂かれた事にある。
あちこちの掲示板で、「自己責任論」が議論されている。
これは、まともな「自己責任論」じゃなく、
大量虐殺した米軍と日本政府の責任を、覆い隠そうとする心理現象だ。
この心理現象は、人質となった3人の感性・責任感・勇気への、ジェラシーでもある。
己の、卑屈で卑怯で、無責任な感性を、弁護しようとする、心理現象でもある。
人間にとって、一番大事なことは、人質となって苦しんでいる人達を、更に苦しめて、
憂さを晴らすのじゃなく、己を知ることこそが、肝心な事である。
欠けているのは、ボランテイアの自己責任じゃなく、米軍と日本政府の自己責任であり、
「自己責任論」を追及して自己満足している貴方達の、自己責任である。
これは メッセージ 477 (doandroidsdreamofelectricsheeps さん)への返信です.
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