子供十字軍
投稿者: pattsy_mint_1010t 投稿日時: 2004/10/04 05:29 投稿番号: [418 / 468]
ミハルさん、どーもです。
石田治部って、三成のことでしょうか?
戦国、安土桃山は抜けてるとこが多くて、詳細な部分はボロボロなんです。また、ご教授下さい。
今日は奴隷繋がりで(?)、子供十字軍(少年十字軍)のこと調べてきました。
子供十字軍
http://www1.kcn.ne.jp/%7Ea7627//kora2.htm#27
・・・20年近く経った1230年のこと、一人の僧侶がフランスに帰ってきました。当時の少年の一人だったという彼の口から衝撃的な事実が。
7隻の船のうちの2隻は遭難して乗船者はすべて死亡。残りの5隻は無事上陸したものの、商人の計略で、アラブ人に売られ、アルジェリアやアレクサンドリアで奴隷になったこと。
バグダッドに連れて行かれた者の何人かは改宗を拒否して殺されたこと。
読み書きができた者は通訳、教師として重宝がられ、運良く自由の身になった者もいたこと。彼自身もそんな一人だというわけです。
今なら子供が行方不明になれば海外へでも即飛んでいくところ。
中世の普通のヨーロッパ人の世界観がいかに狭かったかわかる話です。彼らにとって、地中海の対岸は異教徒の世界で、そこに迷い込んだ子供を捜し出すことなど想像もできなかったのでしょう。 (抜粋)
4 十字軍と都市の発達
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/112-europe12.html
第4回十字軍が失敗に終わったため、教皇インノケンティウス3世は新しい 十字軍を起こすために全ヨーロッパに説教師を派遣した。
こうした説教師に接して いたであろう北フランスのある村の羊飼いの少年エティエンヌはある日巡礼の姿を した神を見た。
神は聖地回復を記した手紙を少年に渡した。エティエンヌは神の 使命をさとり、一心に神のお告げを説いて回った。
やがて数千人の少年少女が彼の 伝道に従うようになった。
少年達の親は、彼らの冒険を必死に思いとどまらせようとしたが脱落者は 少なく、彼らはリヨンからマルセイユへと出た。もちろん彼らは船賃も持って なかった。
この時マルセイユの船主が「お前達の殊勝な心がけに免じて聖地まで無償で船に乗せてやろう」と申し出た。
彼らはその甘言を信じて7艘の船に分乗してマルセイユを出帆した。
7艘のうち2艘はサルデーニャ島付近で難破し、残る5艘の船に乗った少年達はアレクサンドリアに運ばれ、奴隷として売り飛ばされた。
この出来事は少年十字軍(1212)と呼ばれている。
同じような動きはドイツでも見られた。
度重なる十字軍の失敗、その度に説教士達によってかきたてられた社会の興奮から引き起こされた悲劇的な出来事であった。 (抜粋)
石田治部って、三成のことでしょうか?
戦国、安土桃山は抜けてるとこが多くて、詳細な部分はボロボロなんです。また、ご教授下さい。
今日は奴隷繋がりで(?)、子供十字軍(少年十字軍)のこと調べてきました。
子供十字軍
http://www1.kcn.ne.jp/%7Ea7627//kora2.htm#27
・・・20年近く経った1230年のこと、一人の僧侶がフランスに帰ってきました。当時の少年の一人だったという彼の口から衝撃的な事実が。
7隻の船のうちの2隻は遭難して乗船者はすべて死亡。残りの5隻は無事上陸したものの、商人の計略で、アラブ人に売られ、アルジェリアやアレクサンドリアで奴隷になったこと。
バグダッドに連れて行かれた者の何人かは改宗を拒否して殺されたこと。
読み書きができた者は通訳、教師として重宝がられ、運良く自由の身になった者もいたこと。彼自身もそんな一人だというわけです。
今なら子供が行方不明になれば海外へでも即飛んでいくところ。
中世の普通のヨーロッパ人の世界観がいかに狭かったかわかる話です。彼らにとって、地中海の対岸は異教徒の世界で、そこに迷い込んだ子供を捜し出すことなど想像もできなかったのでしょう。 (抜粋)
4 十字軍と都市の発達
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/112-europe12.html
第4回十字軍が失敗に終わったため、教皇インノケンティウス3世は新しい 十字軍を起こすために全ヨーロッパに説教師を派遣した。
こうした説教師に接して いたであろう北フランスのある村の羊飼いの少年エティエンヌはある日巡礼の姿を した神を見た。
神は聖地回復を記した手紙を少年に渡した。エティエンヌは神の 使命をさとり、一心に神のお告げを説いて回った。
やがて数千人の少年少女が彼の 伝道に従うようになった。
少年達の親は、彼らの冒険を必死に思いとどまらせようとしたが脱落者は 少なく、彼らはリヨンからマルセイユへと出た。もちろん彼らは船賃も持って なかった。
この時マルセイユの船主が「お前達の殊勝な心がけに免じて聖地まで無償で船に乗せてやろう」と申し出た。
彼らはその甘言を信じて7艘の船に分乗してマルセイユを出帆した。
7艘のうち2艘はサルデーニャ島付近で難破し、残る5艘の船に乗った少年達はアレクサンドリアに運ばれ、奴隷として売り飛ばされた。
この出来事は少年十字軍(1212)と呼ばれている。
同じような動きはドイツでも見られた。
度重なる十字軍の失敗、その度に説教士達によってかきたてられた社会の興奮から引き起こされた悲劇的な出来事であった。 (抜粋)
これは メッセージ 417 (miharuratokie_2004 さん)への返信です.
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