●●中国での人権:チベット併合・弾圧
投稿者: dod2un 投稿日時: 2004/08/27 17:29 投稿番号: [9220 / 66577]
http://www.tibethouse.jp/human_rights/human38.html
人権問題 Human Rights
刑務所や強制労働収容所での死亡事例
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チベット亡命政府 情報・国際関係省著「チベット入門」より抜粋
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刑務所や強制収容所から生還した人たちの証言を元にまとめると、チベット全体で収容者のおよそ7割が死亡している。たとえば北チベットの荒涼とした高原にあるジャン・ツァラカでは、5ヶ所の収容所に10,000人以上の囚人が収容され、ホウ砂の採掘と運搬に従事させられていた。これら収容所から生還した人の話によると、毎日10〜30人が飢えや殴打、あるいは過労によって死亡し、1年間で8,000人以上が死亡したという。また、中国が解放軍の仕事だったと主張する、ラサのアチェン水力発電所の建築現場でも、毎日3、4人の収容者が死亡し、死体が近くの川に投げ捨てられたり、焼かれたりするのが見られたという。東チベットの例では、1960年〜1962年の間に、ダルツェド地区の鉛鉱で12,019人の収容者が死亡したと、元収容者のアディ・タペさんは証言している。
また、チベット亡命政府が収集した情報をまとめると、1949〜1979年の間に死亡したチベット人は、120万人を下らないという結果になる。
◆ チベット3州での死者数(チベット亡命政府のまとめ)
ウ・ツァン カム アムド 合計
拷 問 93,560 64,877 14,784 173,221
死 刑 28,267 32,266 96,225 156,758
戦 闘 143,253 240,410 49,042 432,705
飢 餓 131,072 89,916 121,982 342,970
自 殺 3,375 3,952 1,675 9,002
傷害致死 27,951 48,840 15,940 92,731
合 計 427,478 480,261 299,648 1,207,387
** 上記、サイトに正しくフォーマットされた表があります。参照下さい**
人権問題 Human Rights
1949年〜1979年の虐殺
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チベット亡命政府 情報・国際関係省著「チベット入門」より抜粋
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中国のある情報筋によると、人民解放軍は1950年10月7日〜同月25日にかけて、東チベット各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、2,000人以上を投獄したという。
殺戮・殺人、拷問、僧院への砲撃、遊牧テントの一掃といった話は、数多く記録に残されている。その種の報告は、国際法律家委員会がまとめた、チベットに関する1960年のリポートにも多数記載されている。
中国軍の機密資料によれば、人民解放軍は1952年〜1958年にかけて、アムドのカンロ[甘南]地区で996件の反乱を鎮圧し、10,000人以上のチベット人を殺害したという。またアムドのゴロク[果洛]地区では、1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ60,000までに減ったという。パンチェン・ラマ10世は、この地域についてかつて次のように語ったことがある。
「青海省での残虐行為をすべて取り収めた映画があれば、観客は大きな衝撃を受けるに違いない。ゴロク地区では多くの人たちが殺され、死体は丘の上から濠にむけて転げ落とされた。解放軍兵士たちは遺族に向かって、反乱が一掃されたのだからお祝いをしろと言った。あるいはむりやり死体の上で躍らせ、最後には機関銃を掃射した。」
パンチェン・ラマ10世は、演説の中でさらにこう指摘している。
「アムドとカムにおいて、人々は筆舌に尽くしがたいほどの残酷な仕打ちを受けた。10人ずつ、あるいは20人ずつに分けて銃殺されることもあった。(中略)こうした行為は、人々の心に深い傷を残している。」
1959年3月10日にラサで発生した民族放棄が弾圧された際には、3日間で10,000〜15,000人のチベット人が殺された。他方、人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密文書によれば、1959年3月〜1960年10月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺されている。
●中国での人権:チベット併合・弾圧
http://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html
人権問題 Human Rights
米国務省発表 「世界の人権状況」2002年次報告「中国は、チベット民族の基本的自由を制限し続けている」
元『良心の囚人』ンガワン・サンドル プロフィール
チベットの現状 -- -「ダライ\xA1
人権問題 Human Rights
刑務所や強制労働収容所での死亡事例
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チベット亡命政府 情報・国際関係省著「チベット入門」より抜粋
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刑務所や強制収容所から生還した人たちの証言を元にまとめると、チベット全体で収容者のおよそ7割が死亡している。たとえば北チベットの荒涼とした高原にあるジャン・ツァラカでは、5ヶ所の収容所に10,000人以上の囚人が収容され、ホウ砂の採掘と運搬に従事させられていた。これら収容所から生還した人の話によると、毎日10〜30人が飢えや殴打、あるいは過労によって死亡し、1年間で8,000人以上が死亡したという。また、中国が解放軍の仕事だったと主張する、ラサのアチェン水力発電所の建築現場でも、毎日3、4人の収容者が死亡し、死体が近くの川に投げ捨てられたり、焼かれたりするのが見られたという。東チベットの例では、1960年〜1962年の間に、ダルツェド地区の鉛鉱で12,019人の収容者が死亡したと、元収容者のアディ・タペさんは証言している。
また、チベット亡命政府が収集した情報をまとめると、1949〜1979年の間に死亡したチベット人は、120万人を下らないという結果になる。
◆ チベット3州での死者数(チベット亡命政府のまとめ)
ウ・ツァン カム アムド 合計
拷 問 93,560 64,877 14,784 173,221
死 刑 28,267 32,266 96,225 156,758
戦 闘 143,253 240,410 49,042 432,705
飢 餓 131,072 89,916 121,982 342,970
自 殺 3,375 3,952 1,675 9,002
傷害致死 27,951 48,840 15,940 92,731
合 計 427,478 480,261 299,648 1,207,387
** 上記、サイトに正しくフォーマットされた表があります。参照下さい**
人権問題 Human Rights
1949年〜1979年の虐殺
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チベット亡命政府 情報・国際関係省著「チベット入門」より抜粋
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中国のある情報筋によると、人民解放軍は1950年10月7日〜同月25日にかけて、東チベット各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、2,000人以上を投獄したという。
殺戮・殺人、拷問、僧院への砲撃、遊牧テントの一掃といった話は、数多く記録に残されている。その種の報告は、国際法律家委員会がまとめた、チベットに関する1960年のリポートにも多数記載されている。
中国軍の機密資料によれば、人民解放軍は1952年〜1958年にかけて、アムドのカンロ[甘南]地区で996件の反乱を鎮圧し、10,000人以上のチベット人を殺害したという。またアムドのゴロク[果洛]地区では、1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ60,000までに減ったという。パンチェン・ラマ10世は、この地域についてかつて次のように語ったことがある。
「青海省での残虐行為をすべて取り収めた映画があれば、観客は大きな衝撃を受けるに違いない。ゴロク地区では多くの人たちが殺され、死体は丘の上から濠にむけて転げ落とされた。解放軍兵士たちは遺族に向かって、反乱が一掃されたのだからお祝いをしろと言った。あるいはむりやり死体の上で躍らせ、最後には機関銃を掃射した。」
パンチェン・ラマ10世は、演説の中でさらにこう指摘している。
「アムドとカムにおいて、人々は筆舌に尽くしがたいほどの残酷な仕打ちを受けた。10人ずつ、あるいは20人ずつに分けて銃殺されることもあった。(中略)こうした行為は、人々の心に深い傷を残している。」
1959年3月10日にラサで発生した民族放棄が弾圧された際には、3日間で10,000〜15,000人のチベット人が殺された。他方、人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密文書によれば、1959年3月〜1960年10月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺されている。
●中国での人権:チベット併合・弾圧
http://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html
人権問題 Human Rights
米国務省発表 「世界の人権状況」2002年次報告「中国は、チベット民族の基本的自由を制限し続けている」
元『良心の囚人』ンガワン・サンドル プロフィール
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これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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