Re: 藤原審爾氏『みんなが知っている』より
投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2008/01/21 14:34 投稿番号: [64616 / 66577]
この自動車隊の本来の任務は、機関銃隊が独力仕上げる筈の屍体の山に万遍なくガソリンをふりかけ、手際よく焼き尽くして、いくらかでも罪跡をくらます事にあったのでしょうが、それどころではなくなったものでした。しかし、この咄嗟の判断で、殺到する群衆を燃え足の早い猛火の垣でさえぎってしまいました。逃げ場を失った群衆は猛火のために焼殺されてしまったのですけれど、その代り、友軍の二個小隊もその道連れにされてしまったのです。これはその夜の自動車隊にいた一兵士から、その日きかされた話です。
― 何も知らずに山麓の道路から私たちは現場へ降りていったのですが、まず驚かされたのは、道路上のおびただしい銭です。
銅貨あり、銀貨あり、また蒋介石政府がこの頃発行していた、円形のボール紙に銀紙を張りつけた玩具のような通貨、それらが数百メートルにわたり道路に帯のように敷かれている上を、私たちは異様な好奇心にかられながらザクザクと歩きました。
犠牲者からいずれ取上げたのに違いありませんが、それがどうして道にまかれているのか、幾ら考えてもわかりません。懐ろの固いといわれる中国人も、広場に集結させられる途中ですでに覚悟して、自ら銭を捨てて行ったのでしょうか。
さて、現場で、私たちは将校から屍体を揚子江へ投げ込む作業を命じられました。その時には誰しもが慌てて手拭で鼻と口を覆ったほど、名状しがたい悪臭がたちこめていて呼吸苦しいくらいでした。
「俺たちは、死んだ人間をいじりに、大陸まで来たんじゃねえぞ」
そんな呟きも聞こえました。実際こんな仕事にくらべれば、危険でも敵と戦闘している方がましでした。
比較的仕事のやり易い川岸近くから、私たちは顔をしかめ、無口になってのろのろとはじめました。他の隊からもかなりの数の兵隊がかり出されていましたが、どんなに馬力をかけたところで、この厖大な焼死体を簡単に片づけられる筈はありません。私たちは、
<作業終り>の命令が出るのを今か今かと待ちながら、緩慢に動いているだけが精一杯でした。将校も、平素の倣岸さを失い、妥協的な態度で、
「一人あたり十個も放り込めば休んでくれや」
などという始末です。
冬とはいえ、生憎と天気がよかったので、気温が上昇するに従いますます手のつけられぬ有様になりました。夜中の寒気に凍っていたのがゆるみはじめると、悪臭はいよいよ烈しくなってきました。誰かが考えだして、川岸の楊柳を切り、先端を尖らすとそれを魚又のように使って屍体を二つ三つと櫛刺しにし、それを二人一組で水際までひきずって行きました。
一番上の屍体は黒焦げになっていますが、一重二重、下になるほど生身に近く、体重をかけてウンショと突き刺すと群血が飛び散って、地下足袋、巻脚絆は血泥がしみこみ、ぐちょぐちょになりました。
「いくらやったって駄目だァ。同じじゃねえか」
「野郎ッ、嬶アに泣き目を見せて南京くんだりまで来てよ。チャンコロの隠坊たあ何だ」
鼻を突く腐臭と、焼ぶくれの屍の山を見て私たちはむしょうに腹が立ってきました。
水際に捨てた屍体も、溜水に浮んだ塵芥のようにいたずらにその層を拡げていくばかりでした。ニ、三人の兵隊が小舟で屍体の溜りの中に漕ぎ入れ、水の流れに乗せようとかかりましたが、五つか六つ流れに押し出したきりで、あきらめてしまいました。
午後三時頃までで私たちは勝手に作業を打ち切りました。将校も黙って知らん顔をしていました。
「この後始末をどうしてつけるつもりだろう。もう一度あらためて焼きなをしでもするのだろうか」
私は心の片隅でぼんやりとそんなことを考えていました。犠牲者の怨みが、日本軍の湮滅作業を許さないかのようにも思えてくるのでした。
(「藤原審爾作品集 みんなが見ている前で・みんなが知っている」P318〜P321)
http://www.geocities.jp/yu77799/bakuhuzan.html
― 何も知らずに山麓の道路から私たちは現場へ降りていったのですが、まず驚かされたのは、道路上のおびただしい銭です。
銅貨あり、銀貨あり、また蒋介石政府がこの頃発行していた、円形のボール紙に銀紙を張りつけた玩具のような通貨、それらが数百メートルにわたり道路に帯のように敷かれている上を、私たちは異様な好奇心にかられながらザクザクと歩きました。
犠牲者からいずれ取上げたのに違いありませんが、それがどうして道にまかれているのか、幾ら考えてもわかりません。懐ろの固いといわれる中国人も、広場に集結させられる途中ですでに覚悟して、自ら銭を捨てて行ったのでしょうか。
さて、現場で、私たちは将校から屍体を揚子江へ投げ込む作業を命じられました。その時には誰しもが慌てて手拭で鼻と口を覆ったほど、名状しがたい悪臭がたちこめていて呼吸苦しいくらいでした。
「俺たちは、死んだ人間をいじりに、大陸まで来たんじゃねえぞ」
そんな呟きも聞こえました。実際こんな仕事にくらべれば、危険でも敵と戦闘している方がましでした。
比較的仕事のやり易い川岸近くから、私たちは顔をしかめ、無口になってのろのろとはじめました。他の隊からもかなりの数の兵隊がかり出されていましたが、どんなに馬力をかけたところで、この厖大な焼死体を簡単に片づけられる筈はありません。私たちは、
<作業終り>の命令が出るのを今か今かと待ちながら、緩慢に動いているだけが精一杯でした。将校も、平素の倣岸さを失い、妥協的な態度で、
「一人あたり十個も放り込めば休んでくれや」
などという始末です。
冬とはいえ、生憎と天気がよかったので、気温が上昇するに従いますます手のつけられぬ有様になりました。夜中の寒気に凍っていたのがゆるみはじめると、悪臭はいよいよ烈しくなってきました。誰かが考えだして、川岸の楊柳を切り、先端を尖らすとそれを魚又のように使って屍体を二つ三つと櫛刺しにし、それを二人一組で水際までひきずって行きました。
一番上の屍体は黒焦げになっていますが、一重二重、下になるほど生身に近く、体重をかけてウンショと突き刺すと群血が飛び散って、地下足袋、巻脚絆は血泥がしみこみ、ぐちょぐちょになりました。
「いくらやったって駄目だァ。同じじゃねえか」
「野郎ッ、嬶アに泣き目を見せて南京くんだりまで来てよ。チャンコロの隠坊たあ何だ」
鼻を突く腐臭と、焼ぶくれの屍の山を見て私たちはむしょうに腹が立ってきました。
水際に捨てた屍体も、溜水に浮んだ塵芥のようにいたずらにその層を拡げていくばかりでした。ニ、三人の兵隊が小舟で屍体の溜りの中に漕ぎ入れ、水の流れに乗せようとかかりましたが、五つか六つ流れに押し出したきりで、あきらめてしまいました。
午後三時頃までで私たちは勝手に作業を打ち切りました。将校も黙って知らん顔をしていました。
「この後始末をどうしてつけるつもりだろう。もう一度あらためて焼きなをしでもするのだろうか」
私は心の片隅でぼんやりとそんなことを考えていました。犠牲者の怨みが、日本軍の湮滅作業を許さないかのようにも思えてくるのでした。
(「藤原審爾作品集 みんなが見ている前で・みんなが知っている」P318〜P321)
http://www.geocities.jp/yu77799/bakuhuzan.html
これは メッセージ 64615 (jm_s1960 さん)への返信です.
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