Re: 南京虐殺はあった
投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2008/01/15 15:11 投稿番号: [64368 / 66577]
馬鹿蜥蜴のNo.64307 でこんなことを書いた:「その根拠が嘘なら全て嘘だと言うべきだろう。」
上記の言葉をよく覚えろよ、とりあえず、置いといて。
俺はそんな暇もないし、馬鹿な蜥蜴、暇な老人様に一々教える義務も無い、「その根拠が嘘なら全て嘘だと言うべきだろう。」と言うなら、馬鹿蜥蜴の「根拠」一つを「嘘」だと見破れば馬鹿蜥蜴の全ての「根拠」を「全て嘘だと言うべきだろう」、実に簡単です。
馬鹿蜥蜴の「根拠」は給料泥棒の東中野「教授」から、その給料泥棒の東中野「教授」の「検証」を100%信じ、自ら「あたしは馬鹿だ」と自証してる、その例の一↓
>D) 南京陥落は冬だが、多くの写真に出てくる人間は夏服だ。<
馬鹿蜥蜴は多分給料泥棒の東中野「教授」の「南京空爆の件は南京でなく広東→夏服だから。」と「根拠」した。
給料泥棒の東中野氏「教授」の「夏服」の検証について既に↓論破された。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/num/n-001.htm
更に給料泥棒の東中野氏「教授」のもう一つ「服装が変」の検証について
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/num/n-008-9.htm
理由:「こんな服装は日本兵のものではない」
凄いではないか?服装で地方を判断できる、服装で敵か味方かを判断できる。「教授」か?戦時なのに。
俺は専門家ではない、偶々見付った資料で簡単に給料泥棒の東中野氏「教授」の嘘を見破る↓
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/article/natuhuku.html
夏 服 の 日 本 軍 ( 資 料 )引用
元第二師団長 岡村寧次(おかむらやすじ)
六 応急派兵の服装問題
【その頃まだ相当暑いので、当然夏衣袴着用と一般に思われていたが、私は、この出動の命令下達と同時に冬服着用を指示した。旅団長や副官などが度々来訪して、将兵全部の意向なりとして夏衣袴着用を懇願したが、私は断乎としてこれを拒止し、察哈爾方面は高原地帯で間もなく寒くなること、奉天―北京―察哈爾の唯一の兵站線は、到底冬服の追送など期待し得ないことを説いたので、彼らは渋々と冬衣袴を着用して出動した。
この年十二月、藤原支隊はせ赫々たる戦果をもたらして帰還した。その将校たちは、察哈爾の秋は寒さ厳しく、他の部隊が夏衣袴で寒がっていたのに、われらのみは冬服で良かった今更ながら私の先見に感謝したとのことであった。】
↑給料泥棒の東中野氏「教授」のご感想は?
その給料泥棒の東中野氏「教授」の尻を舐め続いた馬鹿蜥蜴のご感想は?
更に引用
元毎日新聞記者 佐藤振壽
【「大毎」の松尾カメラマンが、藤田部隊に従軍して中華門攻撃の写真を撮っていた。そんなことから少佐は「大毎」南京支局をよく訪れた。
たまたま私が中国軍将校の冬オーバーを入手して、それを着ていたところ、「佐藤さん、それをわしにくれんかね」と無心された。
一二月も下旬となると南京でも霜を置くような気温になるのに、藤田少佐はまだ夏服を着ていたのである。
階級章は中国軍の少将だったのを、少佐の階級章に直して着ていた。】
曾根一夫
【南京攻略戦は御指摘のとうり、厳冬期である。軍隊が衣替えして冬服になるのは十月であったから、一二月の季節に夏服でいるのは不自然と思われるかも知れない。
しかし、それは平時の考え方である。戦地でもこれに準じて衣替えしたのはもちろんであるけれど、条件の悪いところではそうばかりゆかない場合があった。
これによって南京後略戦のときにも、出発までに支給ができず、八月下旬か九月上旬に内地から着用してきた夏服で従軍して部隊が沢山あった。
このように戦場では常識で割切れないことがあった。虐殺現場にいた兵隊が夏服を着用していても、おかしなことではない。】
↑給料泥棒の東中野氏「教授」のご感想は?
その給料泥棒の東中野氏「教授」の尻を舐め続いた馬鹿蜥蜴のご感想は?
>D) 南京陥落は冬だが、多くの写真に出てくる人間は夏服だ。<
>D) 南京陥落は冬だが、多くの写真に出てくる人間は夏服だ。<
>D) 南京陥落は冬だが、多くの写真に出てくる人間は夏服だ。<
「その根拠が嘘なら全て嘘だと言うべきだろう。」によって馬鹿蜥蜴の全て「根拠」を却下され、全て嘘と認定した。馬鹿蜥蜴、文句がある?
馬\xBC
上記の言葉をよく覚えろよ、とりあえず、置いといて。
俺はそんな暇もないし、馬鹿な蜥蜴、暇な老人様に一々教える義務も無い、「その根拠が嘘なら全て嘘だと言うべきだろう。」と言うなら、馬鹿蜥蜴の「根拠」一つを「嘘」だと見破れば馬鹿蜥蜴の全ての「根拠」を「全て嘘だと言うべきだろう」、実に簡単です。
馬鹿蜥蜴の「根拠」は給料泥棒の東中野「教授」から、その給料泥棒の東中野「教授」の「検証」を100%信じ、自ら「あたしは馬鹿だ」と自証してる、その例の一↓
>D) 南京陥落は冬だが、多くの写真に出てくる人間は夏服だ。<
馬鹿蜥蜴は多分給料泥棒の東中野「教授」の「南京空爆の件は南京でなく広東→夏服だから。」と「根拠」した。
給料泥棒の東中野氏「教授」の「夏服」の検証について既に↓論破された。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/num/n-001.htm
更に給料泥棒の東中野氏「教授」のもう一つ「服装が変」の検証について
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/num/n-008-9.htm
理由:「こんな服装は日本兵のものではない」
凄いではないか?服装で地方を判断できる、服装で敵か味方かを判断できる。「教授」か?戦時なのに。
俺は専門家ではない、偶々見付った資料で簡単に給料泥棒の東中野氏「教授」の嘘を見破る↓
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/article/natuhuku.html
夏 服 の 日 本 軍 ( 資 料 )引用
元第二師団長 岡村寧次(おかむらやすじ)
六 応急派兵の服装問題
【その頃まだ相当暑いので、当然夏衣袴着用と一般に思われていたが、私は、この出動の命令下達と同時に冬服着用を指示した。旅団長や副官などが度々来訪して、将兵全部の意向なりとして夏衣袴着用を懇願したが、私は断乎としてこれを拒止し、察哈爾方面は高原地帯で間もなく寒くなること、奉天―北京―察哈爾の唯一の兵站線は、到底冬服の追送など期待し得ないことを説いたので、彼らは渋々と冬衣袴を着用して出動した。
この年十二月、藤原支隊はせ赫々たる戦果をもたらして帰還した。その将校たちは、察哈爾の秋は寒さ厳しく、他の部隊が夏衣袴で寒がっていたのに、われらのみは冬服で良かった今更ながら私の先見に感謝したとのことであった。】
↑給料泥棒の東中野氏「教授」のご感想は?
その給料泥棒の東中野氏「教授」の尻を舐め続いた馬鹿蜥蜴のご感想は?
更に引用
元毎日新聞記者 佐藤振壽
【「大毎」の松尾カメラマンが、藤田部隊に従軍して中華門攻撃の写真を撮っていた。そんなことから少佐は「大毎」南京支局をよく訪れた。
たまたま私が中国軍将校の冬オーバーを入手して、それを着ていたところ、「佐藤さん、それをわしにくれんかね」と無心された。
一二月も下旬となると南京でも霜を置くような気温になるのに、藤田少佐はまだ夏服を着ていたのである。
階級章は中国軍の少将だったのを、少佐の階級章に直して着ていた。】
曾根一夫
【南京攻略戦は御指摘のとうり、厳冬期である。軍隊が衣替えして冬服になるのは十月であったから、一二月の季節に夏服でいるのは不自然と思われるかも知れない。
しかし、それは平時の考え方である。戦地でもこれに準じて衣替えしたのはもちろんであるけれど、条件の悪いところではそうばかりゆかない場合があった。
これによって南京後略戦のときにも、出発までに支給ができず、八月下旬か九月上旬に内地から着用してきた夏服で従軍して部隊が沢山あった。
このように戦場では常識で割切れないことがあった。虐殺現場にいた兵隊が夏服を着用していても、おかしなことではない。】
↑給料泥棒の東中野氏「教授」のご感想は?
その給料泥棒の東中野氏「教授」の尻を舐め続いた馬鹿蜥蜴のご感想は?
>D) 南京陥落は冬だが、多くの写真に出てくる人間は夏服だ。<
>D) 南京陥落は冬だが、多くの写真に出てくる人間は夏服だ。<
>D) 南京陥落は冬だが、多くの写真に出てくる人間は夏服だ。<
「その根拠が嘘なら全て嘘だと言うべきだろう。」によって馬鹿蜥蜴の全て「根拠」を却下され、全て嘘と認定した。馬鹿蜥蜴、文句がある?
馬\xBC
これは メッセージ 64310 (tokagenoheso さん)への返信です.
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