昭和天皇を描写した「侍従日記」見つかる
投稿者: tokyo_made_otearai_benki 投稿日時: 2007/03/14 13:29 投稿番号: [62141 / 66577]
太平洋戦争中、昭和天皇に侍従として仕えた故・小倉庫次(おぐらくらじ)氏(元東京都立大法経学部長)の「侍従日記」が見つかった。「大東亜戦争の初(はじま)る前は心配であつた」「自分の花は(皇太子時代の)欧洲訪問の時だつた」など、昭和天皇の肉声を伝える貴重な資料だ。日記は10日発売の「文芸春秋」4月号に掲載される。
日記は宮内省(当時)の便せん617枚に書かれ、ノモンハン事件直前の1939年5月から45年8月の終戦までの天皇の動静や言動が記されている。
日中戦争について「支那が案外に強く、事変の見透し(見通し)は皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(40年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明なるべき」(41年1月9日)など、天皇が開戦を後悔していたことがうかがえる。
一方で、「戦争は一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満洲事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。(略)戦争はどこで止めるかが大事なことだ」「戦争はやる迄(まで)は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」「大東亜戦争の初る前は心配であつた。(略)東条になつてから、十分準備が出来た」「自分の花は欧洲訪問の時だつたと思ふ。相当、朝鮮人問題のいやなこともあつたが、自由でもあり、花であつた」(いずれも42年12月11日)など、複雑な胸中ものぞかせている。
戦局が悪化した45年4月18日には、「皇族は責任なしに色々なことを言ふから困る」などと記され、昭和天皇に意見を具申する弟宮らへの不満をもらし、皇族や臣下に囲まれながらも、孤独感を抱えていた天皇の様子が浮かび上がる。
また、39年12月5日の義宮(現常陸宮)を青山御所に移居させる方針が示された際には「青山御所は大宮御所、秩父宮御殿に近か過る。そちらにおなじみになりはせぬか。淋(さび)しい」ともらすなど、これまで発表されてきた日記からはうかがい知ることのなかった親心も見える。
▽作家、半藤一利さんの話 昭和天皇が日中戦争開戦に否定的な考えを持っていたことは、「木戸幸一日記」や戦後の「昭和天皇独白録」からも知られていたが、今回発見された小倉日記は、リアルタイムの生の発言という意味では資料的な価値が高く興味深い。小倉は、他の多くの侍従と異なり民間出身でしがらみがないため、客観的で冷静な記述を積み重ね、これまで知られていなかった皇族の私的な事柄や天皇の人間性が表れるような発言も記述している。新しい昭和天皇像を考える上で貴重な史料と言える。
日記は宮内省(当時)の便せん617枚に書かれ、ノモンハン事件直前の1939年5月から45年8月の終戦までの天皇の動静や言動が記されている。
日中戦争について「支那が案外に強く、事変の見透し(見通し)は皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(40年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明なるべき」(41年1月9日)など、天皇が開戦を後悔していたことがうかがえる。
一方で、「戦争は一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満洲事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。(略)戦争はどこで止めるかが大事なことだ」「戦争はやる迄(まで)は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」「大東亜戦争の初る前は心配であつた。(略)東条になつてから、十分準備が出来た」「自分の花は欧洲訪問の時だつたと思ふ。相当、朝鮮人問題のいやなこともあつたが、自由でもあり、花であつた」(いずれも42年12月11日)など、複雑な胸中ものぞかせている。
戦局が悪化した45年4月18日には、「皇族は責任なしに色々なことを言ふから困る」などと記され、昭和天皇に意見を具申する弟宮らへの不満をもらし、皇族や臣下に囲まれながらも、孤独感を抱えていた天皇の様子が浮かび上がる。
また、39年12月5日の義宮(現常陸宮)を青山御所に移居させる方針が示された際には「青山御所は大宮御所、秩父宮御殿に近か過る。そちらにおなじみになりはせぬか。淋(さび)しい」ともらすなど、これまで発表されてきた日記からはうかがい知ることのなかった親心も見える。
▽作家、半藤一利さんの話 昭和天皇が日中戦争開戦に否定的な考えを持っていたことは、「木戸幸一日記」や戦後の「昭和天皇独白録」からも知られていたが、今回発見された小倉日記は、リアルタイムの生の発言という意味では資料的な価値が高く興味深い。小倉は、他の多くの侍従と異なり民間出身でしがらみがないため、客観的で冷静な記述を積み重ね、これまで知られていなかった皇族の私的な事柄や天皇の人間性が表れるような発言も記述している。新しい昭和天皇像を考える上で貴重な史料と言える。
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