究極の名人
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2006/11/19 02:10 投稿番号: [61437 / 66577]
中島敦(あつし)の短編小説に「名人伝」と云うのがある。
読むのに10分とはかからない。
「趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。」から始まる。
超人的な訓練を重ねて、虱が牛ほどの大きさに見えるようになり、やがて弓の師匠を越えて百発百中の腕前となる。
やがて、弓を使わずに鳥を落とす名人に出逢い、そこでの修行の結果、弓を使わないどころか、最後には弓の使い方も弓の存在さえも忘れ去って、究極の名人になったと云うお話。
むかし、昔、私がまだ若者で、中国語を習い始めた頃、一時期、中国語の学校に通って練習していたことがある。初心者のクラスには同好のお仲間が一杯いて、毎日が楽しかった。
授業が終わると、喫茶店に入ってクラスのお仲間と何時間でもお喋り。中国や中国語のことを飽きることなく喋っていた。
ある時、誰かが語った。「語学の達人」、「究極の通訳」とはどんなものか・・?
それは・・言葉を聞かずして相手の言わんとすることを悟り、或いはまた、言葉を発せずしてこちらの意思を相手に伝える・・と云うもの。
言葉が未熟の間は、聞いても聞き取れず、喋ろうにも喋れないから、ひたすら沈黙して「お静か君」。
やがて、少し上達すると、あれもこれもと得意になって喋りまくって「ペラペラ君」になる。
更に上達するにつれて、相手のペラペラの喋りでも要点をつかんで簡潔に訳すようになり、言葉は次第次第に少なくなる。
そして、究極の達人ともなると聞くも喋るも、そこに言葉は飛び交わず、言葉なくして言葉を交わすのだそうだ。
「そんなバカな〜・・いくら何でも、そこまでは・・」と、その時は呆れて、みんなが笑った。
しかし・・
この頃、あの時のあの話も「冗談極(きわ)まるホラ話ではなくて、あり得る事かも知れないなあ」と思うようになってきた。
例えば、中国も地方に行って田舎のおGちゃん、おBaちゃんなんかと何か話そううとしても言葉が全然通じない。でも、表情豊かに日本語そのままに話しかけたら、あら不思議、その言葉は苦もなくあちらへ通じてしまう。何を言いたいか、ちゃんと解(わ)かってもらえる。
あちらの言葉を聞かなくても、相手のその表情から察して歓迎してくれている気持ちが、すんなり伝わってくる。ニッコリ、笑顔で会釈(えしゃく)すれば、それだけでも相手に気持ちが通じるのだ。
そんな時、「ああ、名人だ〜・・」と呟いてしまう。
この域に達すると、修行して言葉のテクニックを磨くのではないだろう。
多分、心(ハート)を磨くのに違いあるまい。
私も、名人になれないまでも、せめて名人に一歩でも近づけるよう頑張りたいものだ。
読むのに10分とはかからない。
「趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。」から始まる。
超人的な訓練を重ねて、虱が牛ほどの大きさに見えるようになり、やがて弓の師匠を越えて百発百中の腕前となる。
やがて、弓を使わずに鳥を落とす名人に出逢い、そこでの修行の結果、弓を使わないどころか、最後には弓の使い方も弓の存在さえも忘れ去って、究極の名人になったと云うお話。
むかし、昔、私がまだ若者で、中国語を習い始めた頃、一時期、中国語の学校に通って練習していたことがある。初心者のクラスには同好のお仲間が一杯いて、毎日が楽しかった。
授業が終わると、喫茶店に入ってクラスのお仲間と何時間でもお喋り。中国や中国語のことを飽きることなく喋っていた。
ある時、誰かが語った。「語学の達人」、「究極の通訳」とはどんなものか・・?
それは・・言葉を聞かずして相手の言わんとすることを悟り、或いはまた、言葉を発せずしてこちらの意思を相手に伝える・・と云うもの。
言葉が未熟の間は、聞いても聞き取れず、喋ろうにも喋れないから、ひたすら沈黙して「お静か君」。
やがて、少し上達すると、あれもこれもと得意になって喋りまくって「ペラペラ君」になる。
更に上達するにつれて、相手のペラペラの喋りでも要点をつかんで簡潔に訳すようになり、言葉は次第次第に少なくなる。
そして、究極の達人ともなると聞くも喋るも、そこに言葉は飛び交わず、言葉なくして言葉を交わすのだそうだ。
「そんなバカな〜・・いくら何でも、そこまでは・・」と、その時は呆れて、みんなが笑った。
しかし・・
この頃、あの時のあの話も「冗談極(きわ)まるホラ話ではなくて、あり得る事かも知れないなあ」と思うようになってきた。
例えば、中国も地方に行って田舎のおGちゃん、おBaちゃんなんかと何か話そううとしても言葉が全然通じない。でも、表情豊かに日本語そのままに話しかけたら、あら不思議、その言葉は苦もなくあちらへ通じてしまう。何を言いたいか、ちゃんと解(わ)かってもらえる。
あちらの言葉を聞かなくても、相手のその表情から察して歓迎してくれている気持ちが、すんなり伝わってくる。ニッコリ、笑顔で会釈(えしゃく)すれば、それだけでも相手に気持ちが通じるのだ。
そんな時、「ああ、名人だ〜・・」と呟いてしまう。
この域に達すると、修行して言葉のテクニックを磨くのではないだろう。
多分、心(ハート)を磨くのに違いあるまい。
私も、名人になれないまでも、せめて名人に一歩でも近づけるよう頑張りたいものだ。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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