Re: 日中の平和運動
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2006/08/15 21:12 投稿番号: [58497 / 66577]
>A級戦犯たちも、すべての日本軍国主義の罪を背負った覚悟でいる。
彼らが靖国に合祀されたことは本人たちが一番不本意だと思っているはずだ。
それこそ、天皇への反逆だ。<
まことに、お言葉の通りであります。
私は、甘ちょろいことは言わないのです。例えば日露戦争のように幾万の将兵を戦場に駆り出して、むざむざ戦死せしめたとしても、せめて「勝ち戦(いくさ)」であったなら、恐らく、政治家も軍人も戦争犯罪人になることはなかった。
百歩譲って、時の政治家・軍人の戦争遂行には罪がなく、それぞれ職能を尽くしたに他ならないと云う見解を認めたとしても、その結果が敗戦となり、国を亡ぼした限りは敗戦の罪は免れない。
歴史を語る口調で言うなら、「敗軍の将」は問答無用で斬刑に処せられてしかるべきなのだ。
東條を始めとする戦犯たちは戦争の罪、敗戦・・負け戦(いくさ)の責任を一身に背負って死んでいった。戦争の罪も人々の怨みも憎しみも、全部ひっ被(かぶ)って刑場の露と消えたのである。悪いのはあの戦犯たち・・と。
日本の悪、日本の罪、一身に背負い、そうすることによって天皇の立場を護(まも)ろうとした。それがオノレの使命であると心得ていたはずである。あっぱれ、戦犯は戦犯なりにオノレの立場を心得ていたのだ。
汚名を着てこそ全(まっとう)うできるオノレの使命。汚名を被ったままで人々が静かに忘れてくれればよかったものを、現実はそうならず、日本のアホどもは何を考えたか、「戦犯に罪なし」、「昭和殉難者」などと言って顕彰しようとするのだ。
日本の戦争、その罪を一身に背負ったつもりで死んだのに、「戦犯に罪なし」「お国の罪を背負って死んだ殉難者」と讃えるなら、そんなら戦争の罪は彼ら以外の誰にあるのか?・・と云う話になる。
「よくよく考えれば、彼ら戦犯もお気の毒」のお気持ちもあろうが、そうやって庇(かば)ってもらうなら、戦犯は戦犯として罪を背負う使命を果たせない。「戦犯に罪なし」と言って罪が消滅するはずもなく、ただ罪の所在があやふやになるだけのこと。
それは戦犯の諸氏にとって不本意の事態であろう。
戦犯を顕彰し、戦犯から罪を剥ぎ取るなら、戦犯は戦犯の使命が果たせず、戦犯の死は、それこそ無駄死にと云うことになるではないか。
戦犯は汚名にまみれてこそ本望であり、そうあってこそ罪のない新生日本を残すことができたのだ。
日本のバカどもが戦犯を顕彰してしまったばかりに、戦後のこの時代に至って今さらに戦争の罪の所在があやふやになってしまった。
戦犯諸氏も困惑して、「余計なことをしてくれた。我らが所念を無駄にしてくれた」と言って怒ることだろう。
戦犯・・昔なら、罪あろうとなかろうと、敗戦のその時には真っ先に腹切って死ぬべき立場の者どもなのだ。
戦犯は、オノレの刑死について四の五のと何の不満も言っていないのに、誰が彼らに代わって語るのか?
「昭和殉難者」などと呼んで戦犯を顕彰している、靖国神社の思想こそが一番の問題。陛下に対し奉り、不忠の極みならずして何であらうか。
な〜にを考えておるのか?・・・ぷんぷん・・・じゃ。
彼らが靖国に合祀されたことは本人たちが一番不本意だと思っているはずだ。
それこそ、天皇への反逆だ。<
まことに、お言葉の通りであります。
私は、甘ちょろいことは言わないのです。例えば日露戦争のように幾万の将兵を戦場に駆り出して、むざむざ戦死せしめたとしても、せめて「勝ち戦(いくさ)」であったなら、恐らく、政治家も軍人も戦争犯罪人になることはなかった。
百歩譲って、時の政治家・軍人の戦争遂行には罪がなく、それぞれ職能を尽くしたに他ならないと云う見解を認めたとしても、その結果が敗戦となり、国を亡ぼした限りは敗戦の罪は免れない。
歴史を語る口調で言うなら、「敗軍の将」は問答無用で斬刑に処せられてしかるべきなのだ。
東條を始めとする戦犯たちは戦争の罪、敗戦・・負け戦(いくさ)の責任を一身に背負って死んでいった。戦争の罪も人々の怨みも憎しみも、全部ひっ被(かぶ)って刑場の露と消えたのである。悪いのはあの戦犯たち・・と。
日本の悪、日本の罪、一身に背負い、そうすることによって天皇の立場を護(まも)ろうとした。それがオノレの使命であると心得ていたはずである。あっぱれ、戦犯は戦犯なりにオノレの立場を心得ていたのだ。
汚名を着てこそ全(まっとう)うできるオノレの使命。汚名を被ったままで人々が静かに忘れてくれればよかったものを、現実はそうならず、日本のアホどもは何を考えたか、「戦犯に罪なし」、「昭和殉難者」などと言って顕彰しようとするのだ。
日本の戦争、その罪を一身に背負ったつもりで死んだのに、「戦犯に罪なし」「お国の罪を背負って死んだ殉難者」と讃えるなら、そんなら戦争の罪は彼ら以外の誰にあるのか?・・と云う話になる。
「よくよく考えれば、彼ら戦犯もお気の毒」のお気持ちもあろうが、そうやって庇(かば)ってもらうなら、戦犯は戦犯として罪を背負う使命を果たせない。「戦犯に罪なし」と言って罪が消滅するはずもなく、ただ罪の所在があやふやになるだけのこと。
それは戦犯の諸氏にとって不本意の事態であろう。
戦犯を顕彰し、戦犯から罪を剥ぎ取るなら、戦犯は戦犯の使命が果たせず、戦犯の死は、それこそ無駄死にと云うことになるではないか。
戦犯は汚名にまみれてこそ本望であり、そうあってこそ罪のない新生日本を残すことができたのだ。
日本のバカどもが戦犯を顕彰してしまったばかりに、戦後のこの時代に至って今さらに戦争の罪の所在があやふやになってしまった。
戦犯諸氏も困惑して、「余計なことをしてくれた。我らが所念を無駄にしてくれた」と言って怒ることだろう。
戦犯・・昔なら、罪あろうとなかろうと、敗戦のその時には真っ先に腹切って死ぬべき立場の者どもなのだ。
戦犯は、オノレの刑死について四の五のと何の不満も言っていないのに、誰が彼らに代わって語るのか?
「昭和殉難者」などと呼んで戦犯を顕彰している、靖国神社の思想こそが一番の問題。陛下に対し奉り、不忠の極みならずして何であらうか。
な〜にを考えておるのか?・・・ぷんぷん・・・じゃ。
これは メッセージ 58458 (topics_philanthropism さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/cf9q_1/58497.html