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お茶を馬鹿する輩冥加あるべからず>>

投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2004/07/03 15:16 投稿番号: [5731 / 66577]
  まず趣旨を言って置きます。

  日本にせよ中国にせよ、大事なものは大切にせよ、と。

  お茶に限る話ではないが、こうした歴史時代の価値観、審美眼を少々現実から離れた場所で眺めてほしい。現物はたかがお茶(の水)だけれども、身体的渇を癒される一方、精神的な享受も存在し、東洋の多くの人々の心に生きられている。価値として美として。汚してはいけない。

  芭蕉の有名な句がありますね。

  秋深き隣は何をする人ぞ
  秋近き心の寄るや四畳半

  こうした句を、ある背景を抜きにしてなかなか解せない。はっきり言って、お茶に寄せた心境です。お茶の判る人なら、なお一層しみじみに感じるのだろう。

「四畳半」というのは、茶室のことです。所謂わび茶の系譜を辿ると、珠光を開山として紹鴎を中興と称し利休で大成した。利休は元々の書院広間のまの台子を四畳半の草庵形式の茶室にしたのです。茶道の形成(侘び、さび理念の形成)に中世の禅、和歌連歌も大きな力を注ぎ、手伝ったわけです。

  で、芭蕉は「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり」(『笈の小文』)というのは侘びの精神に相通じるにほかならない。

更に芭蕉の句にこんなのがあります。

  茶の湯に残る雪とひよ鳥     貞享2年
  お茶を煮る夜は来たりて軒を敲く
  打ちよりて花入り探れ梅椿    元録元年
  水汲みかへて捨つる宵の茶

  台子の間にも坐る侍
  肌さむき隣の朝茶飲みあひて

  芭蕉が詠んだお茶の句はまたまたあるが、これだけでも芭蕉が朝夕にお茶を嗜み、茶道についての素養はなみ大抵でないと、判るだろう。「花入り」や「台子の間」と言うのが人目で判るように茶道のこと、その「残る雪」というのは、何だろう?花入としての解釈もあろうが、私はもしかして芭蕉の時代でも本当に雪でお茶を作る風習が少し残ってあろうのかと、せめて梅や椿に落ちた雪で、お茶を煮る風流事の余韻が芭蕉には知っていたのだろうと、想像したくなる。

  「定家をなみする輩、冥加あるべからず」と、中世歌人の正徹の有名な一言ある。その正徹は歌人でありながら重要な茶道書『清巌茶話』を残してくれた。利休の門弟南坊宗啓は『南坊録』という茶道書に
お茶の心を中世和歌の『新古今和歌集』に求めた。

一例

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ      定家

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
  あれだけ、定家を崇拝した歌人の正徹が、自分のお茶をわからずに貶した奴に向かって、恐らく同じセリフを吐くいうだろう。私が出てきて代言した。

  おいおい、それは一体中国と関係あるのだろうか?

  関係はあるけど、いわない。要は、何かを見るとき、現実的尺度を振り回さず、多層的にその価値観を看てほしい。お茶と言っても、そんなに馬鹿にしちゃいけない。



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