Re:cobapics0506z、「隔対」????
投稿者: cobapics0506z 投稿日時: 2006/07/16 10:37 投稿番号: [57015 / 66577]
>引用の原文が少し違っていた。これは謝っておく。<
謝る必要は無い。なぜかといえば、先秦の文献はテキストによって内容の違いを見せる場面しばしばあるからだ。論語だってそうだし、まして『管子』は孔子よりも何百年前の人だから。テキストもそういう可能性がある。つまり果たしてあなたのミスかどうか、分からない。・・・
> ○さて、もう言ってることが、最初と違ってるよ。
最初は、こういってた。
>「聖王」は・・・であり、「治世」は・・・であると読むべき。(No.5692)
これは文章全体の流れを眺めての読みです。イコール「聖王之禁」を説く管子は、昔の「治世」はどうだという対比の意図が随所見えて、断句する際、「聖王は・・・」「治世は・・・」という見分けの意識も必要となってくるのだろう。
>これと、今回の
素晴らしい王の身において、素晴らしき世の時代には、<
これは具体的な訳文です。両者を完全に同一することはどうか?勿論違う訳文も出てくるのだろう?しかし前に言った見分けの意識がここでより取れるのか。「聖王は・・・、治世は・・・」の見分け意識がこの訳文に同居していることは間違いない。
>○隔句対の説明
>聖王之身⇒徳行必有所是 (意味上、聖王の徳行・・・・)
>治世之時⇒道義必有所明 (意味上、治世の道義・・・・)
>何の必然性も感じない。<
だから浅いというか、字面を捩るだけの読みは必然性は読み出してこないでしょう。笑・・・
例① 聖 王 之 紱 ・・・周書、巻14、康浩
例② 聖 王 伏 羲 以 來 聖 人 為 天 子 者 不 直 云 先 王 又 加 聖 字 者 夫 王 未 必 聖 古 來 非 一 聖 不 必 王 孔 子 是 也。・・・礼記
例③ 聖 王 還 因 天 地 鬼 神 作 其 法 則 以 化 人 所 以 人 情 萬 物 可 知 也 ○ 故 人 者 天 地 之 紱 者 △ 天 以 覆 為 紱 地 以 載 為 紱 也
例④ ・・・以 立 紱 行 者 莫 若 射 故 聖 王 務 焉・・・礼記・同上
例⑤ 聖 王 功 紱 見 於 舉 動 之 容 ・・・左傳・襄公
先秦の例は枚挙に暇なしだ。直接・間接に聖王の徳行を説く例です。
あなたの国では、どうか知らないが、私の国では、昔、王と言うものにはまず道徳者であらねばならぬ。「先王」を「聖王」と言い換えたのもそのため。王に求める第一の条件は孔子のような道徳者であること。
ですから、私はそこの叙述に必然性を読むのです。
同様、社会の大義、道義もそうであるべき。
したがって、あなたはそこに必然性を読めないのも、よ〜く分かるよ。あなたがそこに必然性を読めなくてもいいことになっているかも知れない。別ににあなたの主張は間違ったとは、絶対言いませんから。
どうぞご自由に。(笑・・・)
>したがって、ことさらに隔句対と解釈する必要性は、認められない。<
そうですね。拘らない人には、必要性はないのだろう?
逆に4・4・6・6の句式は(客観に書いてあるから)、対丈のことを言い出す以上、僕の習性なら「隔対」まで読みたくなるのも、別に詮索しすぎとは思わない。「四六」文ですから。
謝る必要は無い。なぜかといえば、先秦の文献はテキストによって内容の違いを見せる場面しばしばあるからだ。論語だってそうだし、まして『管子』は孔子よりも何百年前の人だから。テキストもそういう可能性がある。つまり果たしてあなたのミスかどうか、分からない。・・・
> ○さて、もう言ってることが、最初と違ってるよ。
最初は、こういってた。
>「聖王」は・・・であり、「治世」は・・・であると読むべき。(No.5692)
これは文章全体の流れを眺めての読みです。イコール「聖王之禁」を説く管子は、昔の「治世」はどうだという対比の意図が随所見えて、断句する際、「聖王は・・・」「治世は・・・」という見分けの意識も必要となってくるのだろう。
>これと、今回の
素晴らしい王の身において、素晴らしき世の時代には、<
これは具体的な訳文です。両者を完全に同一することはどうか?勿論違う訳文も出てくるのだろう?しかし前に言った見分けの意識がここでより取れるのか。「聖王は・・・、治世は・・・」の見分け意識がこの訳文に同居していることは間違いない。
>○隔句対の説明
>聖王之身⇒徳行必有所是 (意味上、聖王の徳行・・・・)
>治世之時⇒道義必有所明 (意味上、治世の道義・・・・)
>何の必然性も感じない。<
だから浅いというか、字面を捩るだけの読みは必然性は読み出してこないでしょう。笑・・・
例① 聖 王 之 紱 ・・・周書、巻14、康浩
例② 聖 王 伏 羲 以 來 聖 人 為 天 子 者 不 直 云 先 王 又 加 聖 字 者 夫 王 未 必 聖 古 來 非 一 聖 不 必 王 孔 子 是 也。・・・礼記
例③ 聖 王 還 因 天 地 鬼 神 作 其 法 則 以 化 人 所 以 人 情 萬 物 可 知 也 ○ 故 人 者 天 地 之 紱 者 △ 天 以 覆 為 紱 地 以 載 為 紱 也
例④ ・・・以 立 紱 行 者 莫 若 射 故 聖 王 務 焉・・・礼記・同上
例⑤ 聖 王 功 紱 見 於 舉 動 之 容 ・・・左傳・襄公
先秦の例は枚挙に暇なしだ。直接・間接に聖王の徳行を説く例です。
あなたの国では、どうか知らないが、私の国では、昔、王と言うものにはまず道徳者であらねばならぬ。「先王」を「聖王」と言い換えたのもそのため。王に求める第一の条件は孔子のような道徳者であること。
ですから、私はそこの叙述に必然性を読むのです。
同様、社会の大義、道義もそうであるべき。
したがって、あなたはそこに必然性を読めないのも、よ〜く分かるよ。あなたがそこに必然性を読めなくてもいいことになっているかも知れない。別ににあなたの主張は間違ったとは、絶対言いませんから。
どうぞご自由に。(笑・・・)
>したがって、ことさらに隔句対と解釈する必要性は、認められない。<
そうですね。拘らない人には、必要性はないのだろう?
逆に4・4・6・6の句式は(客観に書いてあるから)、対丈のことを言い出す以上、僕の習性なら「隔対」まで読みたくなるのも、別に詮索しすぎとは思わない。「四六」文ですから。
これは メッセージ 57012 (nao759kyon さん)への返信です.
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