Re: 止戈為武:Nao氏!
投稿者: kitaguninosaru1 投稿日時: 2006/07/12 11:25 投稿番号: [56859 / 66577]
>『漢語詞典』にこの例を挙げて、「闡明義理」とあるやつですね。
↑
ご存知だったのですか?
苦労して探すこともなかったのですね。
コバさんがこれを知っていたかどうか知りませんが。
>私としては、ですからこの場合、「道」は、「導」の通假、借りの字だと思ってるわけですけど。
↑
こう言われると「私としては」もう言うことありませんね。
まして「導」として解釈されることは不可能なわけではありませんので。
そもそも「道」と「導」には通じるものがありますからね。
元を辿って「道」に含まれる意味を探れば、「導」もその一つに入っているでしょう。
「道」という文字が先に作られて、その応用篇として「導」が作られたのだと思われます。
よって、貴殿の解釈は完全に間違いとは言えません。
「語り(道)」によって、抽象的な理や義を人に理解させるように導くことも多々あるでしょう。
人によって、「道可『道』非常道」にある『道』も「導」と解釈されること可能でしょう。
結果として「導」という効果があるから、「道(語り)」は「導」だと解釈出来なくはないが(特に渋谷あたりで)、少し牽強ではないでしょうか?
ここの「道」を「語る」と理解するのがより自然で、素直ではないでしょうか?
「春秋以道義」の前に「書以道事」と「易以道化」がありますね。
「書以道事」「易以道化」にある「道」も「導」の借字だと思いますか?
抽象的な理や義ならともかく、具象である「事」や「化」を導く必要はありませんよね。
普通に考えれば、「以道事」「以道化」の「道」は語りであり、「導」ではないと思います。
であれば、言葉の「前後対応」という慣例から推定すると、後ろにある「以道義」の「道」も「導」ではなく、語りでしょう。
これは メッセージ 56851 (nao759kyon さん)への返信です.
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