Re:水俣病:公式確認から50年−−慰霊式
投稿者: gogai3000buta 投稿日時: 2006/05/06 23:53 投稿番号: [54847 / 66577]
水俣病:公式確認から50年
被害者ら、涙と怒りと−−慰霊式
/熊本
水俣病公式確認から丸50年を迎えた1日、水俣は深い鎮魂の祈りに包まれた。チッソの工場排水に体をむしばまれ、苦しみながら亡くなった多くの犠牲者の魂を慰めるため、遺族や市民らは思い思いの場所で祈りをささげた。半世紀たった今も救済を求める人が絶えず、全面解決の糸口が見えない。慰霊式で参列者は祈りの言葉に涙し、一部の被害者はチッソ正門前で怒りの涙を流した。
◇献花と同時に“涙雨”参列の1300人が黙とう
午後1時半すぎから、水俣湾埋め立て地に新たに作られた水俣病慰霊碑前で始まった慰霊式。慰霊碑を前に患者会の代表らが献水し、遺族がこの1年に亡くなった患者6人の名前を記した名簿を慰霊碑に納めた。続いて地元小中学生が鳴らす鐘とともに、1300人の参加者は1分間の黙とうをささげた。
参列者による献花が始まると、合わせたかのように、海風が強まり、雨が落ちだした。水俣市の宮本勝彬市長は「今、行政の長として被害を受けられた方々に心から謝罪し、解決に向けた新たな誓いを申し上げなければならない」と述べた。
潮谷義子知事は「患者の方々を前に責任の重さを感じながらも、目に見える施策の実現がなかなか困難であることに、苦悩と申し訳なさで満ちている」と語った。
続いて次代を担う子供たちは故郷への思いを語り、慰霊碑を前に誓いの言葉を述べた。
市立袋小6年の牧尾亘君と田中陽菜さんは「水俣病について更に深く学習し、真実を正しく理解し、世界中の人々に伝えていけるようになりたい」。市立袋中3年の安川憂君は「水俣病にかかわった全(すべ)ての人々が安心して暮らせるように、これからは僕たちが精いっぱい頑張ります」と語った。
県立水俣工高3年の宮本浩司君は「水俣に生まれ育った私たちだからこそ、水俣病から学んだことを発展させ、地球規模の視点で環境問題を考えていきたい」と思いを述べた。【高橋克哉】
◇50人が「事件現場」訪れる−−チッソ側、回答投げ捨て
水俣病1次訴訟(1969年提訴)に加わった患者らで作る水俣病互助会のメンバー約50人は同日午前、水俣市内の「事件現場」を訪ねた。参加者は、メチル水銀が流された排水口や患者が座り込んだチッソ水俣工場正門前などで証言に耳を傾けた。同会が事件に対するチッソの考え方などを尋ねた申し入れ書に「当時の関係者は退職している」などと冷ややかに回答したため、胎児性患者の坂本しのぶさん(50)が回答書を丸めて投げ捨てる一幕もあった。
■冷ややかな内容
同会は、チッソが最近の社内報で「不幸にして起こった水俣病」などと記述していたため、被害者救済に対する現状認識や事件検証の意思について回答を求めていた。チッソは「社内報は社員に所感を述べたもので議論しかねる」「当時の関係者は退職している」などと回答した。
冷ややかな内容に、坂本さんは受け取りを強く拒んだ。坂本さんは正門前で互助会の諌山茂会長がチッソ従業員に突き返そうとしていた回答書を横取り。自由の利かぬ手でぐしゃぐしゃと丸めて投げ捨て「私達(たち)の気持ちが全然分かっとらん。ばかにしとる」と涙を流しながら声を振り絞った。
■チッソ付属病院跡
「50年前、当時の細川一院長(故人)が水俣保健所に『原因不明の中枢神経疾患患者が入院した』と届け出た場所」という説明に、参加者が聴き入った。細川院長は、ネコを使った実験で工場廃水が原因と突き止めたが、チッソは長い間、その事実を伏せた。国もチッソを擁護し、公害認定までに12年もの月日を費やした。今は商店などが並び、面影はない。
■ふたつの排水口
一行は、チッソが水銀交じりの排水を長年にわたって垂れ流した水俣湾の百間排水口を見学した。また、1958年から一時期、チッソが排水口として使った「八幡プール」も訪れた。【山田宏太郎】
水俣病公式確認から丸50年を迎えた1日、水俣は深い鎮魂の祈りに包まれた。チッソの工場排水に体をむしばまれ、苦しみながら亡くなった多くの犠牲者の魂を慰めるため、遺族や市民らは思い思いの場所で祈りをささげた。半世紀たった今も救済を求める人が絶えず、全面解決の糸口が見えない。慰霊式で参列者は祈りの言葉に涙し、一部の被害者はチッソ正門前で怒りの涙を流した。
◇献花と同時に“涙雨”参列の1300人が黙とう
午後1時半すぎから、水俣湾埋め立て地に新たに作られた水俣病慰霊碑前で始まった慰霊式。慰霊碑を前に患者会の代表らが献水し、遺族がこの1年に亡くなった患者6人の名前を記した名簿を慰霊碑に納めた。続いて地元小中学生が鳴らす鐘とともに、1300人の参加者は1分間の黙とうをささげた。
参列者による献花が始まると、合わせたかのように、海風が強まり、雨が落ちだした。水俣市の宮本勝彬市長は「今、行政の長として被害を受けられた方々に心から謝罪し、解決に向けた新たな誓いを申し上げなければならない」と述べた。
潮谷義子知事は「患者の方々を前に責任の重さを感じながらも、目に見える施策の実現がなかなか困難であることに、苦悩と申し訳なさで満ちている」と語った。
続いて次代を担う子供たちは故郷への思いを語り、慰霊碑を前に誓いの言葉を述べた。
市立袋小6年の牧尾亘君と田中陽菜さんは「水俣病について更に深く学習し、真実を正しく理解し、世界中の人々に伝えていけるようになりたい」。市立袋中3年の安川憂君は「水俣病にかかわった全(すべ)ての人々が安心して暮らせるように、これからは僕たちが精いっぱい頑張ります」と語った。
県立水俣工高3年の宮本浩司君は「水俣に生まれ育った私たちだからこそ、水俣病から学んだことを発展させ、地球規模の視点で環境問題を考えていきたい」と思いを述べた。【高橋克哉】
◇50人が「事件現場」訪れる−−チッソ側、回答投げ捨て
水俣病1次訴訟(1969年提訴)に加わった患者らで作る水俣病互助会のメンバー約50人は同日午前、水俣市内の「事件現場」を訪ねた。参加者は、メチル水銀が流された排水口や患者が座り込んだチッソ水俣工場正門前などで証言に耳を傾けた。同会が事件に対するチッソの考え方などを尋ねた申し入れ書に「当時の関係者は退職している」などと冷ややかに回答したため、胎児性患者の坂本しのぶさん(50)が回答書を丸めて投げ捨てる一幕もあった。
■冷ややかな内容
同会は、チッソが最近の社内報で「不幸にして起こった水俣病」などと記述していたため、被害者救済に対する現状認識や事件検証の意思について回答を求めていた。チッソは「社内報は社員に所感を述べたもので議論しかねる」「当時の関係者は退職している」などと回答した。
冷ややかな内容に、坂本さんは受け取りを強く拒んだ。坂本さんは正門前で互助会の諌山茂会長がチッソ従業員に突き返そうとしていた回答書を横取り。自由の利かぬ手でぐしゃぐしゃと丸めて投げ捨て「私達(たち)の気持ちが全然分かっとらん。ばかにしとる」と涙を流しながら声を振り絞った。
■チッソ付属病院跡
「50年前、当時の細川一院長(故人)が水俣保健所に『原因不明の中枢神経疾患患者が入院した』と届け出た場所」という説明に、参加者が聴き入った。細川院長は、ネコを使った実験で工場廃水が原因と突き止めたが、チッソは長い間、その事実を伏せた。国もチッソを擁護し、公害認定までに12年もの月日を費やした。今は商店などが並び、面影はない。
■ふたつの排水口
一行は、チッソが水銀交じりの排水を長年にわたって垂れ流した水俣湾の百間排水口を見学した。また、1958年から一時期、チッソが排水口として使った「八幡プール」も訪れた。【山田宏太郎】
これは メッセージ 54838 (ipodsd さん)への返信です.
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