中国

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panda168jp へ(その3)

投稿者: termination36 投稿日時: 2006/05/01 19:23 投稿番号: [54739 / 66577]
>2. 20世紀初頭に滅亡した「清」は満州族の王朝であるが、漢民族はなぜ1%の人口にも満たない異民族の支配を受け入れたのか。

>陸繋ぎで、農耕民族で平和を愛する大陸の人はそれほど清王朝を他民族にする意識もなくて、明君の出現で、それほど清王朝を反発もしなかった。

満州族は、「明」が混乱のなかで滅亡した直後に中国に侵入し、「清」を樹立した。そして支配を受け入れた証として、満州族の風俗である辮髪を漢民族に強要し「髪を留めるものは頭を留めず」と過酷な弾圧を行った。また全中国を平定する戦いの中で、激しく抵抗した「楊州」では、ほかへの見せしめのため、全住民80万人を虐殺したと言われている。(数字には誇張があるかもしれないが、司令官の指示で組織的に行ったようである)

全土を平定した後も「文字の獄」といわれる弾圧を行い、満州族の支配に反抗的な表現をしただけで、一族もろとも死刑になったり、墓を暴かれた挙句に首を刎ねて曝されたりしている。例えば雍正帝の時代に、科挙の試験問題で「維レ民ノ止ム所」という文章を出したところ、「維」は「雍」、「止」は「正」の首を刎ねる意図があるということになり、作者は一族もろとも死刑になっている。

このような過酷な弾圧を行ったにもかかわらず、漢民族が満州族の支配を受け入れたのはなぜか。

「清」の満州族は、名家に養子に入った「入り婿」だと言われている。「中華」を預からせて頂いていると言う意識があり、歴代皇帝は善政に努め、「明」に比べて宮廷の経費(皇帝の贅沢費)、宦官の横暴、官吏の腐敗、貧困層への搾取   が桁違いに少なかった。康熙帝、雍正帝、乾隆帝(ちょっと「?」もあるが)と名君の治世が130年近くも続き、その後も凡庸ではあっても暗愚な皇帝はいなかった。

中国では支配者が誰であれ、反政府勢力は圧殺され言論の自由は無い。ならば、自ら襟を正して良い政治を行ってくれさえすれば、支配者は異民族でも良いと言うことになる。また満州族がモンゴル族とは友好関係にあったため(ただし西のジュンガル部は反抗したため数十万人が虐殺された)、北方からの脅威も無くなり、万里の長城も不要であった。「清」の時代は、官吏の腐敗や搾取が少なく、さらに北方からの脅威も無いという、漢民族にとっては平和で良い時代であったと推定される。


>が、清王朝の西欧列強に対した態度から、辛亥革命が徹底したのだ。当然、西欧列強による植民地化されるのには反対もしたのだ。

ここはお前のいう通りだろう。満州族の王族が「この国を漢民族に返すくらいなら、外国に贈ったほうがましだ」と放言したという話しも伝わっている。この時代の中国人には、日本の明治維新にも似て、国のためには一身を省りみない人物が多かったように思う。ただ辛亥革命では、孫文、高興、陳天華のほか、日本への留学生1万人が、日本を後方基地として活動したことも知るべきだ。
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