野猿さんへ
投稿者: horse_224 投稿日時: 2006/01/19 12:27 投稿番号: [50398 / 66577]
>HorseさんはYes Noを明確にするのが最終局面だと言っているようですが、
「あたしの基準」を活用すれば、どうにもなるようになっていると思います。<
議論の開始時点を見れば分かる話ですね。 まあ、それを明確にせずに議論に入ることもあるのかもしれませんが、自分や相手は、一体何が言いたくって、この議論を始めたのか?に拘るのが、時間の無駄を防ぐ方法だと思います。
>例外として議論の途中段階に罵倒がないこともあるということですね。
通常は議論の途中でも罵倒ありですが、例外もあるということですね。<
「結論を出す前に会話が終わったから、罵倒に至なかった」と解釈しています。 「常連は会話の時間も長い分、どうしても話が核心に至ることになるので、例外なく罵倒に至る。」といったところでしょうか。 当初からそのように仰ってましたよね?
だから、「罵倒のある議論だけは必ず最終局面に至る」ではなく、最終局面に至ると(核心に触れると)、罵倒に至る。 となります。
>しかし、「最終的には理論をかなぐり捨て罵倒に切り替わっており、例外はありません」と「どのような真摯な批判でも最終的には中国側からの罵倒に推移しています」で、最終局面に至らない議論はないことになっています。<
????? この二つの「」は、議論が最終局面に至った場合のことを指しているのであり、「最終局面に至らない議論はないこと」を意味しているのではないでしょう?
>「最終局面」と「最終的」は違う概念だと言われれば、それまでですが。。。<
このケースは、恐らく日本語だけではないと思いますが、一つの単語が会話の流れの中で、意味を変えたり、複数の意味を持つことがあるということを念頭におけば言いと思います。
どんなに丁寧に、相手の理解を慮って話していても、大抵の人は「こう言えば、理解できるだろう」との思い込みが、あると思います。 この思い込みと、上に挙げた事が重なると、外国人に限らず、意味を取り違えることがあります。
つまり外国人にとっては、更に難しいということですね。 北京語で書かれた訴訟関係の文章を読む時など、私も時々この勘違いをやらかします。 で、激怒したりして。。。笑 その後社員に確認して、納得したりしています。
>ところで、アクアさんは例外の対象者は彼等に含まれていないと主張しました。
同じネイティブのHorseさんも同じように感じたでしょうか?<
「彼ら」が誰を意味するかに関しては、aquaさんと同じ様に受け取りましたね。
では「野猿さん、パンダさん、WANGさん、JMSさんが、最終局面に至ると必ず罵倒に至るか?」ということに関してですが、私はそうは思いません。
人によっては、そうなることもあるでしょうが、「必ず」ではないと思います。 言葉が丁寧か乱暴かの差はありますが、「売り言葉に買い言葉」で、「罵倒が引き出される」場合もあると思います。 どんなに丁寧な態度でも、「こいつ俺をナメてるな。」と感じることはありますし、同じ言葉でも、人によって感じ方が違う。 「学習した日本語」や「生活環境や教育、文化習慣」といったファクターもある。
事実、私が罵倒と感じない事でも、野猿さんは罵倒と感じているでしょう? カチンときても、一歩引いて見ることです。 でないと、異文化の中ではやっていけないと思います。 しかも、その異文化の中でも、各自個性がありますしね。 結局何を言いたいのか? 結局何が軸なのか? ここを外さない様にすることが肝要であって、他はさして問題ではありません。 確認をするのであれば、そこを確認するよう心掛けた方が良いと思います。
「あたしの基準」を活用すれば、どうにもなるようになっていると思います。<
議論の開始時点を見れば分かる話ですね。 まあ、それを明確にせずに議論に入ることもあるのかもしれませんが、自分や相手は、一体何が言いたくって、この議論を始めたのか?に拘るのが、時間の無駄を防ぐ方法だと思います。
>例外として議論の途中段階に罵倒がないこともあるということですね。
通常は議論の途中でも罵倒ありですが、例外もあるということですね。<
「結論を出す前に会話が終わったから、罵倒に至なかった」と解釈しています。 「常連は会話の時間も長い分、どうしても話が核心に至ることになるので、例外なく罵倒に至る。」といったところでしょうか。 当初からそのように仰ってましたよね?
だから、「罵倒のある議論だけは必ず最終局面に至る」ではなく、最終局面に至ると(核心に触れると)、罵倒に至る。 となります。
>しかし、「最終的には理論をかなぐり捨て罵倒に切り替わっており、例外はありません」と「どのような真摯な批判でも最終的には中国側からの罵倒に推移しています」で、最終局面に至らない議論はないことになっています。<
????? この二つの「」は、議論が最終局面に至った場合のことを指しているのであり、「最終局面に至らない議論はないこと」を意味しているのではないでしょう?
>「最終局面」と「最終的」は違う概念だと言われれば、それまでですが。。。<
このケースは、恐らく日本語だけではないと思いますが、一つの単語が会話の流れの中で、意味を変えたり、複数の意味を持つことがあるということを念頭におけば言いと思います。
どんなに丁寧に、相手の理解を慮って話していても、大抵の人は「こう言えば、理解できるだろう」との思い込みが、あると思います。 この思い込みと、上に挙げた事が重なると、外国人に限らず、意味を取り違えることがあります。
つまり外国人にとっては、更に難しいということですね。 北京語で書かれた訴訟関係の文章を読む時など、私も時々この勘違いをやらかします。 で、激怒したりして。。。笑 その後社員に確認して、納得したりしています。
>ところで、アクアさんは例外の対象者は彼等に含まれていないと主張しました。
同じネイティブのHorseさんも同じように感じたでしょうか?<
「彼ら」が誰を意味するかに関しては、aquaさんと同じ様に受け取りましたね。
では「野猿さん、パンダさん、WANGさん、JMSさんが、最終局面に至ると必ず罵倒に至るか?」ということに関してですが、私はそうは思いません。
人によっては、そうなることもあるでしょうが、「必ず」ではないと思います。 言葉が丁寧か乱暴かの差はありますが、「売り言葉に買い言葉」で、「罵倒が引き出される」場合もあると思います。 どんなに丁寧な態度でも、「こいつ俺をナメてるな。」と感じることはありますし、同じ言葉でも、人によって感じ方が違う。 「学習した日本語」や「生活環境や教育、文化習慣」といったファクターもある。
事実、私が罵倒と感じない事でも、野猿さんは罵倒と感じているでしょう? カチンときても、一歩引いて見ることです。 でないと、異文化の中ではやっていけないと思います。 しかも、その異文化の中でも、各自個性がありますしね。 結局何を言いたいのか? 結局何が軸なのか? ここを外さない様にすることが肝要であって、他はさして問題ではありません。 確認をするのであれば、そこを確認するよう心掛けた方が良いと思います。
これは メッセージ 50330 (kitaguninosaru1 さん)への返信です.
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