さて冷静に考えよう
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2003/07/13 17:01 投稿番号: [502 / 66577]
中共の政府のお歴々は、事あるごとに日本は、日本民族は、日本人は、と非難する。政府のトップの方々なのだからそれなりの政治的発言なのだろうし、それなりの歴史観と思想はお持ちなのだろう。しかし、私は以前から悩んでいたのですが、確かに、実存主義以降の考え方では、私たち日本人は、親家族親類、祖先が第二次大戦に参戦してなくても、日本人として批判にさらされることがあっても、それは引き受けなければならないもの、と解釈されている(アンガジェ、アンガージュマン)。しかるに、こうした中共の政府のお歴々は実存主義者か?というとそうではない。では、実存主義的歴史観をお持ちなのか?というとそうでもない。
いたく、感情的に日本民族がお嫌いなようだ。共産主義的歴史観というのはどういうものなのか分からないので(それも特に中国共産党という非常にに特殊な団体のものとなると皆目見当もつかないのが本当のところです)、どのような思想、哲学に基づいて言われているのか、理解できないのです(まあ、広松渉の著作はほとんど読んでますし、宇野の資本論入門やマルクスの資本論パリ版なんかも読んではいますが、それでも分かりません、もち、学研の毛沢東全集、読んでますけどねえ)。
では、Bao氏の言われるように政府なんぞの言うことまで背負い込むことは必要ないとすると。。。確実に実存主義ではありません。
では、私たち日本人は、先人たちのいわゆる侵略戦争にどのような歴史観的根拠、哲学的、思想的根拠をもって、臨めばよいのでしょう?
私なぞは単純な人間ですから、実存主義以降の世界では、背負い込まねばならぬもの、として、その侵略戦争を考えてきましたが、それが、政府、軍部によるものだと考え、そこまで背負わなくても、と考えたら、どうでしょう?Bao氏の言われていることの矛盾が露呈してきますよね。でも、この方、中共の方だとすると、お国の教育がそうなのでしょ?
では、日本鬼子が犯した許しがたい過ち、侮蔑が、中国大陸への侵略であると、考えると、そこには、なーんもむつかしい理論も思想もいらないわけで、単に民族的な感情で許せない、ということです。低劣な大和民族が高貴な漢民族を奴隷のごとく扱ってその上に立とうとしたことが許せないのです。わざと、さきほど、鬼という字を使って、地口遊びをしたとたんの、Bao氏の過剰な反応です。やはり、鬼というのは、よい言葉ではなく、侮蔑で中国では使われているようです。なんとも、Bao氏自らの発言がここにきて、また、矛盾を見せています。中国の子どもがどうせ言ったこと、で許されるなら、どうせ関東の地口遊びでやったこと、が許されても悪くはないでしょ。これは江戸っ子の伝統的な遊びで洒落の世界なのですから。
と、ここで、冷静に考えましょう。
私たちは政府のトップのお歴々の発言まで背負い込むことはない、と言うご意見が出ました。では、私たちは、日本人だと言うことでいわれ無き非難を浴びつづけてきたことになります。そこまで背負い込む必要はないのですから、戦争は個人が起こすものではなく、国家、政府が起こすものなのですから。
さて、どうこれからこれを考えていったらよいのでしょうか?たかびーではなく、これはまじめな疑問です。
まあ、こうしたBao氏のような発言が中共政府関連の方々から出たら、それは大変な問題ですが。ま、一般の個人の意見ですから、知的余裕で(ユーモアもまじえて)、論じてみてはいかがでしょう?
いたく、感情的に日本民族がお嫌いなようだ。共産主義的歴史観というのはどういうものなのか分からないので(それも特に中国共産党という非常にに特殊な団体のものとなると皆目見当もつかないのが本当のところです)、どのような思想、哲学に基づいて言われているのか、理解できないのです(まあ、広松渉の著作はほとんど読んでますし、宇野の資本論入門やマルクスの資本論パリ版なんかも読んではいますが、それでも分かりません、もち、学研の毛沢東全集、読んでますけどねえ)。
では、Bao氏の言われるように政府なんぞの言うことまで背負い込むことは必要ないとすると。。。確実に実存主義ではありません。
では、私たち日本人は、先人たちのいわゆる侵略戦争にどのような歴史観的根拠、哲学的、思想的根拠をもって、臨めばよいのでしょう?
私なぞは単純な人間ですから、実存主義以降の世界では、背負い込まねばならぬもの、として、その侵略戦争を考えてきましたが、それが、政府、軍部によるものだと考え、そこまで背負わなくても、と考えたら、どうでしょう?Bao氏の言われていることの矛盾が露呈してきますよね。でも、この方、中共の方だとすると、お国の教育がそうなのでしょ?
では、日本鬼子が犯した許しがたい過ち、侮蔑が、中国大陸への侵略であると、考えると、そこには、なーんもむつかしい理論も思想もいらないわけで、単に民族的な感情で許せない、ということです。低劣な大和民族が高貴な漢民族を奴隷のごとく扱ってその上に立とうとしたことが許せないのです。わざと、さきほど、鬼という字を使って、地口遊びをしたとたんの、Bao氏の過剰な反応です。やはり、鬼というのは、よい言葉ではなく、侮蔑で中国では使われているようです。なんとも、Bao氏自らの発言がここにきて、また、矛盾を見せています。中国の子どもがどうせ言ったこと、で許されるなら、どうせ関東の地口遊びでやったこと、が許されても悪くはないでしょ。これは江戸っ子の伝統的な遊びで洒落の世界なのですから。
と、ここで、冷静に考えましょう。
私たちは政府のトップのお歴々の発言まで背負い込むことはない、と言うご意見が出ました。では、私たちは、日本人だと言うことでいわれ無き非難を浴びつづけてきたことになります。そこまで背負い込む必要はないのですから、戦争は個人が起こすものではなく、国家、政府が起こすものなのですから。
さて、どうこれからこれを考えていったらよいのでしょうか?たかびーではなく、これはまじめな疑問です。
まあ、こうしたBao氏のような発言が中共政府関連の方々から出たら、それは大変な問題ですが。ま、一般の個人の意見ですから、知的余裕で(ユーモアもまじえて)、論じてみてはいかがでしょう?
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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