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難しい、この辺は?

投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2004/03/01 12:18 投稿番号: [4475 / 66577]
  この辺の説明は、やはり難しい?

  というのは、「歌枕のイメージ」投稿を書く時点で、どのように例えて言えば私の意味が伝わるのだろうか、悩んでいましたが。

  思いついたのは、歌枕の架空的性格です。つまり我々はある物が、あそこにあるとずっと信じて疑わないできたのですが、果たしてその物が名実とも存在してくれたのだろうか?答えは肯定、否定の両方です。名こそあれ、実態の伴わないものがいくらでもあるのです。歌枕の一部はそうなのです。

  地名ですから、あるに決まっているのではないか、と思いますが、実際その生成過程を見ると、非常に複雑です。
  例えば
  架空の歌枕としては「霞の谷」「草の原」などあり、

  『万葉集』の誤読から生じたものは、「をだえの橋」「あしりの海」「やまぶきのせ」があり、

  同じ地名がいくつかがあり、本当の場所が分からない「小野」、地形的に消失した歌枕「にへのの池」、普通名詞から固有名詞へ変わったもの「飛鳥川」・・・

  ここでは主に地名−−「名所」ーを、狭義的にあげたわけです。どのような経緯を辿り、生まれてきたのにせよ、特定の景物と結びついたイメージを象徴的に表現する役割を果たしていることは、共通です。

  あと、ある地名が最初に(『万葉』には限らない)取り上げられる時、恰もマスコミのように、すでにある種の選択作用を経ていることは紛れもない。その土地は風景が美しいとか、地形が特別とか、の理由だけではない。むしろ宗教的心性によるものが大きな位置を占めることは、考えに入れなければ。

  要は歌枕が歌人に差し出したイメージ、単なる幻想的なものであり、現にどこにあり、どんな場所なのか、確かめに行かなくても十分に機能するのです。歌人の夢や想像力に刺激を与え、そのイメージに忠実した歌をうまく(もっともらしさ)作ればいい。
 
  この意味で能因のように陸奥へ行かなくても(行ったかどうか分からないが)少なくとも西行と芭蕉の馬鹿がそう信じてその足跡を追跡しようとして行ったわけですが。

  人が「吉野山はいづれの国ぞ」と尋ね侍らば「ただ花には吉野山、紅葉には竜田を詠むこよと思ひつきて読み侍るばかりにて、伊勢の国やらん、日向の国やらん知らず・・・」

  引用は歌僧正徹の歌論『正徹物語』からのもの。この人は半端じゃない定家信奉者。意味は略。
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  では、歌枕のこの性質は、我々の会話の中に応用できますか?

  一方はただの空想、幻想に立って発話、もう一方は現実に答える、まさに論点のずれが発生です。

  幻想の世界から伸べだした手に、現実のものをいくら挙げても、満足のいくものとは限らない。

  歌枕のイメージは空想のもの、神話的な材料に過ぎない。そのイメージに忠実しなければ、歌は成り立たない。歌は当然その分の詩想、空想です。

  では皆さんの中国認識は、歌枕の場合と相似するのでしょうか?

  明日に書きます。今日はこれで失礼します。
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