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元兵士が語る 【大東亜戦争】の真相

投稿者: neo_tomato2000 投稿日時: 2005/09/21 19:16 投稿番号: [43935 / 66577]
●2005年   9月21日●●新聞に掲載


日中戦争中の1937年12月13日
中国の首都・南京を流れる長江(揚子江、幅1キロ)
に、日本海軍の駆逐艦「海風」が停泊していました。

三上翔さん(86)=大阪市=は、伝令・照尺手として
乗り込んでいました。
「騒ぎを聞いて川面を見たら、何十人もの中国人の死体が
山積みになったいかだが、三つも四つも流れてくるんです」

20万ともいわれる日本軍に包囲された南京城は、この日
早朝、陥落しました。陥落前後、日本軍将兵が一般民衆や
捕虜の虐殺   性的暴行   略奪などを繰り返しました。
のちに知られる南京大虐殺です。「海風」が所属する
海軍第二四駆逐隊は、長江をさかのぼって南京に侵入
艦砲射撃を繰り返しました。

【上官が撃て!】

いかだを見たのは、同日午後。攻撃を終えていかりを降ろし
兵士が一息入れた時でした。「撃て!」上官の命令が飛びました。
「生きとるやつがおったらいかん。と、私も甲板から小銃でパン
パンと撃った。見ても兵士か市民かわからん。動く者はおらんかった」

4日後の17日、三上さんは艦隊陸戦隊の一員として、長江岸の
「中山ふ頭」に上陸。陸軍司令官らの「入城式」に参加しました。
待機中、手持ちぶさたに城内の裏通りを歩いた三上さんらは
あちこちで死体の山を目にします。

「公園とかテニスコートとか、ちょっと広い所には死体がうずたかく
折り重なってた。撃たれたり、刺されたり。後ろ手に縛られた人
縄で何人かまとめてつながれた人、裸の人もあった」

「民家の土間にべたーっと血のりが残っていて、中を覗くと殺されて
ました。お年よりの男女やった。あれは兵隊じゃないやろね」

【口外するな!】
艦に戻った三上さんは後日、大規模な殺害を目撃します。
20日前後と記憶しています。
突然、バリバリバリという銃声を聞いて甲板に上がりました
水際の斜面で、中国人とみられる30人くらいの集団が
日本陸軍の重機関銃で撃たれ、ばたばたと水中に、倒れて
いきます。
艦から約500m「見張りようの望遠鏡で、スローモーション
みたいにゆっくり倒れていくのが手にとるように見えた。」

死体が川に消えると、次の30人が川岸に連れてこられ、
また銃撃、城の方角から人がトラックに次々と運ばれてきます。
銃撃は朝から、晩まで、翌日も続きました。

三上さんの艦が南京を離れる12月25日も続いていたといいます
「撃たれて沈む人もいたし、泳いで逃げた人も頭を水面に出した所を
撃たれた、長江の黄色い泥水がピンク色の水しぶきがボンボン上がる
のが見えました。」

下流の中州に泳ぎ着いた人も、そこにいた日本兵士に撃ち殺されました。
夜中、5人ほどが体から炎を上げて暴れるのも目撃しました。

殺戮を目の当たりにしながら、当時の三上さんは「非人道的とはおもわんかった
こんなことして大丈夫かいな、と思うだけ」といいます。
「教育やな。中国人は人間とも思ってなかった。日本は他の国より優れている
殺してもいいんや。そんな感覚でした」

母港の佐世保に戻った後、休暇が与えられました。上官は
「南京で見たことは決して口外するな」と命じました。


その後、三上さんは海軍航空隊に移籍し、

若い兵士の教育担当として
終戦を迎えました。
今も昔を振り返るとき、南京の光景が目に浮かびます。
「ほんまの戦争を知っている者が、若い人に伝えていかんとどうにも
ならん、経験者が減ってきてるんやから   生き残ってる者がしっかり
せんと。   簡単なことやないですけど」
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