>陶淵明あるいは唐詩
投稿者: natsumesousaki_hk 投稿日時: 2005/09/03 12:34 投稿番号: [42945 / 66577]
僕が指摘した点は、漢詩一般ではなく陶淵明や盛唐の詩人・唐詩の受容のありようです。
創作に関しては日本には古くから懐風藻に始まる勅撰漢詩集がありますが、人気の点で和歌にはかないません。江戸期の漢詩はいささか表現過多で俳句・川柳の洒脱にはかないません。創作上の言語感覚・表現の問題であろうと思います。
しかし、様々な時代の荒波の中を、唐詩は江戸末まで受け継がれ存在してきました。
金之助は英国留学をとおして英語の詩も読んでいたようで、100年前の(今からは200年前の)ワーズワースを引き合いに出しています。この延長上の時空に陶淵明を重ねており、当時としては大変斬新な構図です。これが抹香くささを消し去った仕掛けです。
朝鮮で唐詩はどのように受容され、文化として構成に受け継がれたのか、比較の上で大変興味があります。
同様に西欧においても陶淵明や唐詩がどのように受け入れられているのか興味があります。
勿論当然現代チャイナではどうなっているのかは大前提です。
そして、これらを比較検討することで、多分一面でしょうけれど、現代チャイニースの特質、日本人の特質などが浮かびあがってくるように思うし、Wangさんはその近くに居るように思うというのが前回のメッセージの主旨です。
これは メッセージ 42920 (wangjunhe720 さん)への返信です.
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