続き
投稿者: sintyou_3 投稿日時: 2005/08/30 22:21 投稿番号: [42771 / 66577]
ところが、明の反応は意外にも強硬なものでした。なんと、明は「皇帝を見捨てる」という決断をしたのです。
この一連の動きの中心となったのは、于謙というたった一人の人物でした。恐怖に揺れる宮廷の中で于謙は剣を抜いて官を説得し、皇太后を味方に引き入れて英宗を退位させ、その弟の景泰帝を正式に即位させました。
次に于謙はこのたびの愚挙の責任者である王振の一族を処罰し、財産を没収して責任の所在を明確にすると激を発し、北京に軍勢を集めました。夜を徹した作業により武装を整えると、民も将も軍も全てを完全に掌握して万全の体制でエセンを迎え撃ったのです。
後の歴史で「北京の戦い」と呼称される戦いにおいて、于謙はエセンと互角に戦いました。またこの戦いは、歴史上初めて火器が本格的に使用された戦いでもあります。(火力が凄い)
乱戦の中、于謙はエセンの弟を戦死させ、また武力で戦うだけではなく、エセンの姉婿トクトブカに今までエセンだけが独占していた明との朝貢の権利を与えるなど、政略両面において手を打ちました。
あせったのはエセンです。短時間で落ちるであろうと予測していた北京の守りは固く、また切り札として持っていた英宗の身柄も退位させられたことにより実質を失いました。それどころか、このまま戦いが長引けば彼自身の統率能力に疑問を抱かれ、いままできづきあげてきた勢力が瓦解する危険すらあります。
英雄であるエセンは攻める決断をするのも早かったですが、退くべきときに退く決断をするのもまた早かったのです。人質としての価値を失った英宗を北京に返還すると、軍を率いて北へと去っていきました。この時、エセンが英宗をすぐさま返還したのには理由がありました。無理やり退位させられたとはいえ、英宗も一応は皇帝だったのです。現在の皇帝との間に何らかの確執が起こることは自明の理です。一つの国に二つの勢力ができあがれば、少なくともしばらくの間、北に干渉してくることはないでしょう。
こうして北京の戦いは終わりましたが、それから先はまさにエセンの思惑どおりに事が運びました。
英宗は上皇となり、紫禁城に軟禁されることになったのですが、それから数年後、景泰帝が死去すると宮廷内の小物たちが暗躍を始めたのです。また、景泰帝も毒殺されたとの噂がたちのぼりました。
徐有貞といった小人物がとつぜん二千の兵を動員し、軟禁されていた英宗を輿にのせて運び出し、再び即位させたのです。
即位した英宗がまず始めに行ったことは、北京の戦いにおいて北京、しいては大明帝国を救った于謙を誅殺することでした。罪状は「景泰帝擁立の責任者」でした。この行為によって、英宗は自らが暗君であることを証明したといえます。
刑場に引き出された于謙は、ただ一言「天よ、私は無実だ」と訴えたと伝えられています。
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この一連の動きの中心となったのは、于謙というたった一人の人物でした。恐怖に揺れる宮廷の中で于謙は剣を抜いて官を説得し、皇太后を味方に引き入れて英宗を退位させ、その弟の景泰帝を正式に即位させました。
次に于謙はこのたびの愚挙の責任者である王振の一族を処罰し、財産を没収して責任の所在を明確にすると激を発し、北京に軍勢を集めました。夜を徹した作業により武装を整えると、民も将も軍も全てを完全に掌握して万全の体制でエセンを迎え撃ったのです。
後の歴史で「北京の戦い」と呼称される戦いにおいて、于謙はエセンと互角に戦いました。またこの戦いは、歴史上初めて火器が本格的に使用された戦いでもあります。(火力が凄い)
乱戦の中、于謙はエセンの弟を戦死させ、また武力で戦うだけではなく、エセンの姉婿トクトブカに今までエセンだけが独占していた明との朝貢の権利を与えるなど、政略両面において手を打ちました。
あせったのはエセンです。短時間で落ちるであろうと予測していた北京の守りは固く、また切り札として持っていた英宗の身柄も退位させられたことにより実質を失いました。それどころか、このまま戦いが長引けば彼自身の統率能力に疑問を抱かれ、いままできづきあげてきた勢力が瓦解する危険すらあります。
英雄であるエセンは攻める決断をするのも早かったですが、退くべきときに退く決断をするのもまた早かったのです。人質としての価値を失った英宗を北京に返還すると、軍を率いて北へと去っていきました。この時、エセンが英宗をすぐさま返還したのには理由がありました。無理やり退位させられたとはいえ、英宗も一応は皇帝だったのです。現在の皇帝との間に何らかの確執が起こることは自明の理です。一つの国に二つの勢力ができあがれば、少なくともしばらくの間、北に干渉してくることはないでしょう。
こうして北京の戦いは終わりましたが、それから先はまさにエセンの思惑どおりに事が運びました。
英宗は上皇となり、紫禁城に軟禁されることになったのですが、それから数年後、景泰帝が死去すると宮廷内の小物たちが暗躍を始めたのです。また、景泰帝も毒殺されたとの噂がたちのぼりました。
徐有貞といった小人物がとつぜん二千の兵を動員し、軟禁されていた英宗を輿にのせて運び出し、再び即位させたのです。
即位した英宗がまず始めに行ったことは、北京の戦いにおいて北京、しいては大明帝国を救った于謙を誅殺することでした。罪状は「景泰帝擁立の責任者」でした。この行為によって、英宗は自らが暗君であることを証明したといえます。
刑場に引き出された于謙は、ただ一言「天よ、私は無実だ」と訴えたと伝えられています。
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これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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