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選挙の参考に

投稿者: sintyou_3 投稿日時: 2005/08/30 22:21 投稿番号: [42770 / 66577]
売国奴、て言うのは誰に当るか、考えた事あるでしょうか?自分の利益の為、同胞や国が被害を受けるのが明らかなのを承知で、利敵行為をする事でしょう。これは古今東西、不変の事実でしょう。

ところで、中国、明の時代の”土木の変”というのを知ってますか?
面倒なので、以下コピペ

”洪武帝がモンゴル民族を打ち破って明を建国し、その孫の永楽帝が皇帝自ら北はゴビ砂漠を越えて五度も親征して北の地をいくら安定させたとはいえ、やはり限界というものがありました。中国からは追い出されたとはいえ、モンゴル民族はその後も力をたくわえ、やがてエセンという一人の英雄を生み出しました。
  モンゴル民族の中でもオイラートという部族に生まれたエセンは、タタールやウリヤンハイなどを屈服させ、ついには北の地を統一します。エセンが力を蓄えたのには理由があります。エセン自らの統率力が優れていたのはもちろんのことですが、それ以上に重要だったのは、エセンが明と朝貢をして多大なる利益をあげていたという事実でした。
  エセンは数万から数十万の馬をひきつれて明へと赴き、明はその馬を相場の何倍もの値段で購入していたのです。これは朝貢という形はとっていますが、実質的には明が金銭で平和を買っていたようなものでした。エセンは明から多額の金銭を受け取る代わりに、明の国境を侵すというようなことはせず、一種独特の緊張感のなかで明とオイラート両国の平和はたもたれていました。


  ところが、ここに王振という宦官が現れたことにより、状況は一変します。王振は自らの出世のためならどのようなことでもするという人物であり、出世のために自ら望んで宦官になったほどでした。この王振が何の権力も持っていなければ事は起こらなかったのですが、明の不幸なことに、王振は皇帝英宗の家庭教師であり、絶大な権力をふるっていたのです。
  王振は自らの私腹を肥やすために、エセンとの取引代金を従来の五分の一に値切るという暴挙にでました。これに激怒したのはエセンです。平和の代価を値切るとは何事か?ここでおとなしく引き下がるわけにはいかない。裏切りの代障の大きさを知らしめるために、エセンは軍を率いて明の国境に進撃しました。


  これに対し、なんと王振は英宗に親征を進言したのです。全ては自らの利益のためでした。いくらエセンが英雄とはいえ、皇帝自らが軍を率いて親征する必要などないと軍部は大反対したのですが、王振のいいなりとなっていた英宗は反対を押し切って親征を断行しました。
  おべっかは得意であっても軍については素人だった王振は、五十万もの軍勢を率いていればエセンも怖れをなして逃げ出すものだろうとたかをくくっていました。ところがエセン率いるオイラート軍は凄まじい強さであり、先発隊を完膚なきまでに打ちのめしました。

  この知らせを受けた王振は五十万もの軍勢を率いているにもかかわらず恐怖し、北京へと軍を返すことを決定しました。
  ところが、五十万の軍勢は直接北京に向かうのではなく、エセンの本隊にほど近い北方を経由する進路を取ることになりました。これには理由があります。直接北京に向かう経路には、実は王振の故郷があったのです。しかもちょうど農作物の刈り入れ時がせまっていました。五十万の軍隊が通れば、故郷の農作物が被害を受けるのは必然です。ただそれを避けるためだけに、王振は軍の向かうべきコースを変更したのです。
  エセンは北にいます。このコース変更により、当然のごとく明軍五十万の動きを完全に察知することができました。エセンの決断は早く、迂回によって疲弊していた明軍を寡数でもって背後からつきました。
  緒戦で明軍の後尾を潰したエセンはなおも明軍を追いせまりました。
  そして、運命の土木鎮に至るのです。

  状況は一刻を争うにも係わらず、王振は突然、軍を土木鎮にて止め、安全な城内に逃げ込むことをためらいました。なぜならこの時、王振の大事なものを運んでいた部隊がまだ到着していなかったからです。明軍は、王振という一個人の所有物となったようなものでした。この絶好の機会を見逃すほどエセンは愚かではありませんでした。
  土木の地において明軍を囲み、水の供給源をたち、極限まで明軍が疲弊したところで攻めかかり、文字通り明軍五十万を壊滅させたのです。
  乱戦の中、王振はエセン配下の武将によって殺され、英宗は捕虜となるほどの明の歴史始まって以来の大敗北となりました。
大明帝国の皇帝を捕虜にするという思いもかけない大戦果を、エセンは最大限に利用することにしました。皇帝を人質にとり、北京に向かって攻め入ったのです。この時、勝利に沸くエセンの脳裏に敗北の文字は浮かばなかったことでしょう。明軍は弱く、率いる武将の硬骨の士はいな
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