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>>>ゆくなつ

投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2005/08/23 10:24 投稿番号: [42151 / 66577]
  御返事を頂きありがとうございました。

  なぜ「行く春」が言え、「行く秋」と言えても、「行く夏」とは言わないのかと、多分「本意」の解釈以外は古典歌論にも明確に規定していません。

  春の夕暮

  秋の夕暮

  と言いながら、つい「なつの夕暮」と聞いたことはない。

  「冬の夕暮」はありますが、非常に僅少です。


  芭蕉の弟子の間にも類似の議論があったようです。去来がもう一人の弟子・誰(済みません、名前を忘れた)にむかって「秋の夕暮」を寂しくないと読むのは可笑しい。

  つまり「秋の夕暮」が寂しいというのは、古来からの美意識です。

  一個人のセンスとはあまり関係ない。




  さてさて、

  >杜甫の詩からはシューベルトの歌曲が鳴り響きます。李白からはマーラーです。ところが日本の古典和歌からは全く西洋音楽は鳴り響かず、これも不思議なんですが、<

  前回もお答えしましたように、僕は西洋の音楽によく分りませんが、しかし、芸術に共通する所があるはずです。

  色彩感を読むのは、すぐに分りました。「詩中有画、画中有詩」と貴方が提示してくれたあの蘇東阪が唐の詩人についての評論ですね。この評論は鎌倉時代の五山文学にも見出されます。

  和歌には、歌群という言葉があり、単に一首だけを読んでもなかなか意味が捕まらない場合があります。

  例えば新古今和歌集には、短い歌群の排列がありますが、それにしてその歌が当時本番詠出した場面とは少しニュアンスが違うのだろうかと思います。

  その本番とは『六百番歌合』『元久詩歌合』『千五百番歌合』のような場面ですね。

  六百番の恋七「寄琴恋」の歌題の下、12人六組の歌人が12首の歌を連続して読んでいたので、それを読んだら、いかがでしょうか?

  そうすれば貴方の求めている西洋音楽が出てくるかもしれない。

  実際、音楽を楽しみながら作歌した例は多かったのです。鴨長明が琴の名手ですね。彼は一時感情的に高ぶって、秘曲を弾いた・・・皇室の秘曲を。

  よう考えてみれば、貴方がそこに音楽を求めることは、決して不当ではないと思います。


  宋詞が有りますね。それも本当は歌詞です。歌の曲に基づき、歌詞を書き入れただけでした。要は曲が先にあってのこと。

  そこには音楽のリズムが流れるのも当然の話でしょうね。


  以上、失礼しました。
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