論 文 『 対中・韓外交の変化 』
投稿者: suruganoturutarou 投稿日時: 2005/08/16 18:53 投稿番号: [41602 / 66577]
『 対中・韓外交の変化 』
屋 山 太 郎 (政治評論家)
「漢籍世代」に贖罪意識
中・韓の「反日」行動は当分収まらないだろう。というのも、日本にとって「靖国」「教科書」
という譲るべからざるものを「譲れ」と迫ってもいうことをきけるわけがないからだ。これまで
の自民党なら「靖国に行くのを見合わせろ」(野中広務氏、河野洋平氏ら)とか「教科書に近隣
条項を設けて相手のいうことをきけ」(宮沢喜一氏)といった中・韓への融和派が存在した。しか
し彼等は皆、引退しており、かりに新たな融和派が登場すれば、自民党では袋叩きにあいかねな
いほど党内の様相は変わったのだ。なぜにこんなに様変わりになったのか。
端的にいって日本人の堪忍袋の緒が切れたということだろう。中曽根康弘氏、宮沢喜一氏、後藤
田正晴氏らの世代が共通してもっていたのは第一に中・韓に対する贖罪意識である。第ニにこの
世代の特徴は青春時代に懸命に漢籍を学んだ人たちだ。中国人に対して「同文同種」の親近感が
ある。実はこれはとんでもない幻想を持つ原因なのである。
これまでの中・韓外交がことごとく失敗したのはこの“漢籍世代”の誤りなのだ。漢籍は中国人
が理想的な人を描いた倫理規範(儒教)だ。人間が皆こういう風になれば聖賢の社会になると道
を説いたものだが、儒教自体は二世紀の頃には廃れてしまっている。本家で消え失せた儒学を千
二百年も学んできたのが日本だ。日本人はその目線で中・韓両国人と対し、彼等も同じ発想をす
ると思い込んでいる。
しかし中国には「妻も敵なり」という諺がある通り、社会全体に互いに信頼し合うモラルがない。
自分が恥ずかしいことをすれば、家族や国が軽蔑されるから、行いを正しくしようなどの感覚は
皆無なのである。そういう認識もなしに中・韓両国との外交をやってきたのがそもそもの大間違いだったのだ。
1978年、日中友好条約締結の時にトウ小平は福田首相に「尖閣諸島の帰属問題は子々孫々の時代に
平和的解決をまかせましょう」と述べた。しかし尖閣諸島どころか、海底ガス田まで一方的に占
拠、開発を始めた。これらは完全なる裏切りである。
台頭してきた強硬論
65年の日韓基本条約では竹島について交換公文で「第三者を交えた調停で解決する」と約束して
いる。しかし韓国は勝手に軍事構築物を建てて占拠、「実効支配しているからオレのもの」とい
ういい分だ。
教科書についてもあまり文句をいうから、82年、宮沢官房長官が教科書検定に当たって「近隣諸
国に配慮する」と約束した。これは同年8月の鈴木首相の訪中を控えて、「相手の意向をくんで
やる方が訪中にはいいだろう」とおもんぱかって譲歩したものだ。今回の韓国のいい分は、自分
が公約を破って占拠した竹島を日本が「日本の領土」と教科書に書いたのは許せないというもの
である。
中・韓相手の外交交渉では、相手には日本や米欧諸国のような武士道や騎士道の精神、あるいは
「いさぎよさ」「謙虚」「正直」といった徳目や行動を前提にしてはならない。こういう中・韓
と日本とは全く異質の世界だということはハンチントンが「文明の衝突」の中で示している。
最近、日本に対中・韓強硬論が台頭してきたのは、
①政治・外交を仕切ってきた“漢籍世代”が表舞台から去ったこと。
②戦後60年、還暦を迎えて新鮮な、民族主義的国民意識が芽生えてきたことだろう。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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