>貧乏人発言
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2005/08/15 02:37 投稿番号: [41393 / 66577]
41384
flwsemiさんのご意見は漠然としているので、これに対する反論と云うのではなく、あくまで私の意見として語ります。
例えば、「中国人は嫌いだ」「イラン人は嫌(いや)だ」「外国人は好かん」と言いたいのなら、そう言えばよいのです。言ってかまわないと、私は思います。
でも、同時に「本当か?」「ホントにそうなのか?」と一歩踏み込んで考えるのです。
若(も)しかして、本当は「貧乏な中国人は・・」「無作法なイラン人は・・」「傲慢な外国人は・・」と言いたいのではないか?・・・と。
貧乏、無作法、傲慢な・・は例えとして、本音がそうなら、そうだと正しく言えばよろしい。
「貧乏な中国人は嫌われる」・・確かにね。
「貧乏人は誰でも嫌われる」・・中国人でもアメリカ人でも日本人でも・・。
「貧乏」は努力によって克服し、脱却することができるけれども、「中国人」は変えることができない。それなら「中国人は・・」と言う場合、気をつけないといけない。
日本人は、相手を「貧乏人」呼ばわりする時、何やら気がとがめるのだ。そう云う言い方は卑怯に思えるから、相手を「貧乏人」とは言いたくない。
それで、嫌いな理由を示さず、本音を隠したままに「中国人は・・」「イラン人は・・」「外国人は・・」と言うから問題なのだ。
「中国人は嫌いだ」と言ってくれてもいいけれど、それなら、もっと正しく「貧乏な中国人は・・」「無作法な中国人は・・」「生意気な中国人は・・」と言ってくれないと中国人は助からない。
何故なら、貧乏、無作法、生意気は改められても中国人の血統は、すり潰しても変えられない。
結論として言えば、相手の、変えられない、どうにもならない部分をあげつらうのは卑怯なのだ。
「中国人は嫌いだ」と言う時、本当に「中国人が嫌いなのか?」、それとも中国人の「・・」が嫌いなのか?
ちょっと考えてみたらいい。
これは メッセージ 41384 (flwsemi さん)への返信です.
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