貧乏人発言をめぐって
投稿者: flwsemi 投稿日時: 2005/08/15 00:05 投稿番号: [41384 / 66577]
個人的経験ですが...
「倭」は「チビ」というような感覚でつかわれていたようにおもいます。
戦前の日本兵はほとんど農村青年で平均身長が150cmそこそこだったといいますから,「パカヤロ,ミシミシ」と同じで親から伝承されたものでしょう。
現代日本人は,170cm くらいあるんですか。
わたしのいた時代は,まだ,東洋鬼子がありました。
おそらく,その後,東洋の魔女の鬼監督を招請して,事情がかわったんでしょう。最近はめったに聞きません。
初めての中国のネットで,日本人です,と紹介したら,いきなり「武太郎,おまえに歴史を教えてやる」という返事をもらいました。
本人はかなり気を入れたつもりでしょうが,出だしは落語です。
「雑種」も一年前は多かった。
血縁社会独特の感性。
雑種文化が日本の誇りとされた時代を全く知らない。
とにかく,自国の伝承,感性を,さも世界の常識であるがごとく,なんの疑問ももたずに言える神経には,ほとほと感心させられた。
これを中華思想とか刷り込み,というのは,まぁそう言えなくもないが,単なる無知,戦後50年,鎖国状態にあった人々の素朴な反応,とわたしは考えていた。
現に,最近の掲示板は一年前と違って,かなり学習の跡がみられます。
こうした中で,小日本は,今も続いて使われる。
すでに「大日本帝国」の看板をおろした国にあえてこれをぶつけてくるのは,
今の日本が相変わらず小国,島国のくせに態度がでかいという,いってみれば
「自然な」人間感情があるのでしょう。
「シナ」も同様です。
相手の嫌がることをわざわざ言うのは,自らを世界の中心と呼称する国が如何に滑稽であるか,そんな国が歴史上あったか(あったかもしれないが,よく知らない)。
皮肉のひとつやふたつ,言ってみたくもなるじゃありませんか。
こうした,妬み,嫉み,やっかみは人間のごくごく自然な感情であって,それを「貧乏人」だの「ゴミ」だのという言葉で「全人格」の問題とし,「人間として最低」であるかのような「正義の裁判」をする。
わたしは,そういう言辞にこそ底知れぬ悪意を感じ,妬み嫉みを社会的遺恨怨恨に転化する旧時代の妄想をみることができる。
過去二十年間をとっただけでも,「相手の嫌がることをいってはいけない」というしごくもっとも(らしい)道徳律のもとに,どれほどの「言葉狩り」が行われたか。
差別用語を使う人間は「人格」に問題があって,社会から抹殺されなければならないのか。
とんでもないことだ。
相手が如何な弱者,如何な被差別者であろうとも,個人の言論の自由は保障されなければならない。
それを使用した結果については,あくまで,発言者の責任とするべきであって,国家や社会が関与してはならない。
たかが,一個人の怨恨,復讐心で日本の社会が動かされた時代はすでに終わっている。
あなたは,その年で筒井康隆もしらないのか。
「倭」は「チビ」というような感覚でつかわれていたようにおもいます。
戦前の日本兵はほとんど農村青年で平均身長が150cmそこそこだったといいますから,「パカヤロ,ミシミシ」と同じで親から伝承されたものでしょう。
現代日本人は,170cm くらいあるんですか。
わたしのいた時代は,まだ,東洋鬼子がありました。
おそらく,その後,東洋の魔女の鬼監督を招請して,事情がかわったんでしょう。最近はめったに聞きません。
初めての中国のネットで,日本人です,と紹介したら,いきなり「武太郎,おまえに歴史を教えてやる」という返事をもらいました。
本人はかなり気を入れたつもりでしょうが,出だしは落語です。
「雑種」も一年前は多かった。
血縁社会独特の感性。
雑種文化が日本の誇りとされた時代を全く知らない。
とにかく,自国の伝承,感性を,さも世界の常識であるがごとく,なんの疑問ももたずに言える神経には,ほとほと感心させられた。
これを中華思想とか刷り込み,というのは,まぁそう言えなくもないが,単なる無知,戦後50年,鎖国状態にあった人々の素朴な反応,とわたしは考えていた。
現に,最近の掲示板は一年前と違って,かなり学習の跡がみられます。
こうした中で,小日本は,今も続いて使われる。
すでに「大日本帝国」の看板をおろした国にあえてこれをぶつけてくるのは,
今の日本が相変わらず小国,島国のくせに態度がでかいという,いってみれば
「自然な」人間感情があるのでしょう。
「シナ」も同様です。
相手の嫌がることをわざわざ言うのは,自らを世界の中心と呼称する国が如何に滑稽であるか,そんな国が歴史上あったか(あったかもしれないが,よく知らない)。
皮肉のひとつやふたつ,言ってみたくもなるじゃありませんか。
こうした,妬み,嫉み,やっかみは人間のごくごく自然な感情であって,それを「貧乏人」だの「ゴミ」だのという言葉で「全人格」の問題とし,「人間として最低」であるかのような「正義の裁判」をする。
わたしは,そういう言辞にこそ底知れぬ悪意を感じ,妬み嫉みを社会的遺恨怨恨に転化する旧時代の妄想をみることができる。
過去二十年間をとっただけでも,「相手の嫌がることをいってはいけない」というしごくもっとも(らしい)道徳律のもとに,どれほどの「言葉狩り」が行われたか。
差別用語を使う人間は「人格」に問題があって,社会から抹殺されなければならないのか。
とんでもないことだ。
相手が如何な弱者,如何な被差別者であろうとも,個人の言論の自由は保障されなければならない。
それを使用した結果については,あくまで,発言者の責任とするべきであって,国家や社会が関与してはならない。
たかが,一個人の怨恨,復讐心で日本の社会が動かされた時代はすでに終わっている。
あなたは,その年で筒井康隆もしらないのか。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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