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>反日デモは国家ゲーム 2続き

投稿者: wmbyq010 投稿日時: 2005/05/13 18:21 投稿番号: [33794 / 66577]
西安事件と第2次国共合作
http://www.mediabahn.co.jp/china/doc/totid5.html
一九三五年一二月九日。寒風の吹きすさぶなか、大勢の学生たちがシュプレヒコールをあげながら北京市内を行進していた。日本による華北分離工作に抗議するデモ隊であった。学生らは、口々に「華北自治運動反対」を叫び、一切の内戦反対、言論の自由などを要求した。これに対し、当局は消防車から冷水を浴びせ、弾圧しようとしたが、運動はまたたくまに全国主要都市に広がった。一二・九運動である。

反日機運が全国的な高まりをみせた翌年六月、政治的中間派による全国救国連合会(全救連)が上海で結成された。翌月、全救連は声明を発表し、国民党には「安内」の放棄と抗日活動の自由を、中共には「階級闘争」の緩和をそれぞれ求めた。これに応えて、中共は一致抗日のため従来のソビエト革命路線を転換してもよいという内容の書簡を国民党側に送った。だが、国民党は中共や全救連のこうした要求を黙殺。のみならず全救連の幹部七名を「非法団体を組織して赤匪と結んだ」として逆に逮捕した。

こうして世論を逆なでした蒋介石は、さらに陜西省北部の紅軍根拠地に対する「討伐」(第六次囲剿)の再開を指令した。しかし当時、西安にあって紅軍討伐の任に当たっていたのは、日本軍によって故郷を追われ、張学良とともに望郷の念をかこつ東北軍と、これまた抗日意欲の高い西北軍(馮玉祥系)の楊虎城であった。両軍は紅軍討伐よりむしろ中国共産党の主張する「一致抗日」に傾いていた。

いっこう討伐の実があがらぬことに業をにやした蒋介石は、督戦のため自ら西安に赴いた。叱責する蒋に対し、張学良は何度か「連共抗日」を進言したが、聞き入れられない。思いあまった張学良は一二月一二日の早朝、部隊をもって宿舎のある華清池を取り囲み、蒋を監禁、楊虎城とともに内戦停止、一致抗日を全国に訴えた。いわゆる西安事変である。最初、蒋はそれでも頑として首を縦にふらなかったが、西安に駆けつけた周恩来の説得もあり、ようやく蒋は張学良らの要求に基本的な同意を与えた。その後、張学良は自らの誠意を示すため「罪人」として蒋介石に投降、後半生を幽閉のうちに送ることになる。

翌年二月、中国共産党は「暴動政策および土地没収政策の停止」並びに「ソビエト政府の中華民国特区政府」への改称という譲歩を行い、再び一致抗日を求めた。これに対し国民党は、中共が階級闘争を放棄し、軍隊と政権を国民党の下に統一するなどの条件を守るなら「博愛を旨」とする国民党の主義に照らして、その存在を認めると中共側の提案に最終的に同意した。

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だから、反日デモは日中友好の記念行事でありカーニバルであるというのが正解だ。
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