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続き、南京条約と五四運動

投稿者: wmbyq010 投稿日時: 2005/05/08 14:18 投稿番号: [33523 / 66577]
国民革命
五四運動
1919年1月、パリのベルサイユ宮殿で第1次世界大戦の講和会議が始まった。会議が始まると中国民衆は当初、その結果に大きな期待を寄せた。 戦勝国の一員である中国は、敗戦国ドイツが山東省に持っていた権益を回復し、日本の21か条要求も撤廃できるに違いないーー知識人をはじめ誰もがそう信じ、 人々の間には将来を楽観する空気が満ちあふれていた。

だが、採択された決議はそうした中国民衆の期待を無残にも打ち砕くものであった。 講和会議は中国の要求を拒否、ドイツの山東省における権益は中国へは返還せず、そのまま日本に譲渡することが決定されたのである。

この報を聞くや激昂した北京の大学生たちは5月4日、天安門に集結して抗議集会を開いた。参加したのは、北京大学以下、十余の大学、 専門学校の学生約3000人。かれらは、「条約調印拒否」「売国三官僚の罷免」を口々に叫びながら東交民巷の公使館区域へ向けてデモ行進を始めた。 だが、治外法権を盾に官憲から立ち入りを拒否されると、デモ隊は方向を転じて親日派官僚の曹汝霖邸に乱入した。曹汝霖は、 21ヵ条交渉の責任者で、西原借款の窓口ともなった親日派の官僚である。曹汝霖は、妻のベッドの下に隠れ、危うく難を逃れたが、 デモ隊はたまたま居合わせた同じ売国官僚の駐日公使章宗祥を殴打、曹汝霖邸に火を放って気勢をあげた。この日、32名の学生が逮捕された。

だが、 翌日になると学生らは各学校で次々にストライキを打ち、逮捕学生の釈放を要求、さらに市内へ出て、日本商品ボイコットを呼びかけるなど 抗議行動は逆に活発化した。驚いた北京政府は7日、逮捕学生を釈放したが、運動はおさまる気配を見せず、8日、9日の国恥記念日(中国が、 日本の21ヵ条要求に屈した日)を契機にいっそう拡大する様相すら示した。追いつめられた政府は、再び弾圧の挙に出た。だが、 これが国民の怒りに火をつけることとなった。学生の大量逮捕に抗議して上海や天津をはじめとする全国主要都市で労働者や 商人が立ち上がったのである。窮地に立たされた政府はついに要求をのみ、8日には逮捕学生を釈放、10日には「売国三官僚」の罷免を発表した。 またパリ講和会議に出席していた中国代表は売国奴といわれるのをおそれ、条約の調印を拒否した。ここに五四運動は勝利のうちに終結したのである。

だから、反日デモは平和活動だ。
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