>難しい・覚えにくい
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2003/12/09 12:50 投稿番号: [3199 / 66577]
中共が簡体字を発表した当時は、日本ではこんなもの、どうせ長続きしない試みだ、すぐ元の繁体字に戻るだろう、と冷ややかなものでしたし、その効用よりは、悪影響の方が論議されたものでした。で、文化大革命の成果として、簡体字は、中共に定着したのですが、文革当時の徹底した教育が効を奏したものであると思われます。
で、当時の文書などを読むと、識字率の向上とそれに伴う教育の普及、国民への公平な教育、「新たな文化の創生」などといった、初々しくもある意義と目的が書かれてあります。
ここあたりは、中国語学者の藤堂あたりの著書に詳しいのではないかと思いますが。。。
言葉とは、口頭(Verbal、Oral)での発音による、発声言語としてまずは存在するのであり、書き言葉・文字言語はその後のものとされております。ここあたりは記号学でも、発声言語から文字言語がその権限を奪った、などと書かれているくだりですが。(しかし、現実には、文字の発生に立ち会っていないので、発声言語と文字言語がどのような関わりをもって発展、あるいは後退し続けて来たのかは分かりません。もともと別個の体系ですし、表意文字と表音文字との違いもありますし。。。)
特に、中国の場合、文字言語についての辞書が、朱子学的、儒教的な意義を付与することにより、その原義を伝えなくなってきた経緯があります(平凡社の白川の著書参照のこと)。また、このことが、文革当時の簡体字の教育の背景にあることは確かです。
中国語にせよ、英語にせよ、実際の生活場面で使用する語彙はそんなに多いとは思いませんが(赤尾の豆単の序文にあるソーンダイクなんて懐かしく思い出しますが)。
中国語が表現が無限である、とよく言う方がおられますが、それは、疑問です。
李商隠の散文、詩文、また、李長吉の詩などを読むと、その可能性についてはなるほどと思いますが、それは、書き言葉と話し言葉をごちゃまぜにした場合のみに言えるものです。
話し言葉はやはり有限なものとして考えねばなりません。
これは、中国系の会話の中で、非常にしばしば、話し言葉で聞き直しがある(つまり、誤解が生じるか、理解できない)ことにも象徴されます通り、煩雑な言葉というものは、コミュニケーションがうまくいかない、ということです。
言語の経済学からすると、中国語はもっと発音上、発声上、簡略化するのではないかと思いますが。。。
また、教育については、かなり政府からの徹底した圧力がないとなかなかうまく実施できないのではないか、と。。。日本の植民地時代の韓国や台湾、また、文革当時の中共をみるとよくそのあたりの事情が分かるのですが、下地のないところでの文字教育というのはなかなか困難なものです。
ついでに。
あのー、「おしん」なんてものは贅沢だ、わしゃアレ以上に悲惨な生活を送っていた、といったのは、関西芸人の「オクレ」ではないか?と。。。
で、当時の文書などを読むと、識字率の向上とそれに伴う教育の普及、国民への公平な教育、「新たな文化の創生」などといった、初々しくもある意義と目的が書かれてあります。
ここあたりは、中国語学者の藤堂あたりの著書に詳しいのではないかと思いますが。。。
言葉とは、口頭(Verbal、Oral)での発音による、発声言語としてまずは存在するのであり、書き言葉・文字言語はその後のものとされております。ここあたりは記号学でも、発声言語から文字言語がその権限を奪った、などと書かれているくだりですが。(しかし、現実には、文字の発生に立ち会っていないので、発声言語と文字言語がどのような関わりをもって発展、あるいは後退し続けて来たのかは分かりません。もともと別個の体系ですし、表意文字と表音文字との違いもありますし。。。)
特に、中国の場合、文字言語についての辞書が、朱子学的、儒教的な意義を付与することにより、その原義を伝えなくなってきた経緯があります(平凡社の白川の著書参照のこと)。また、このことが、文革当時の簡体字の教育の背景にあることは確かです。
中国語にせよ、英語にせよ、実際の生活場面で使用する語彙はそんなに多いとは思いませんが(赤尾の豆単の序文にあるソーンダイクなんて懐かしく思い出しますが)。
中国語が表現が無限である、とよく言う方がおられますが、それは、疑問です。
李商隠の散文、詩文、また、李長吉の詩などを読むと、その可能性についてはなるほどと思いますが、それは、書き言葉と話し言葉をごちゃまぜにした場合のみに言えるものです。
話し言葉はやはり有限なものとして考えねばなりません。
これは、中国系の会話の中で、非常にしばしば、話し言葉で聞き直しがある(つまり、誤解が生じるか、理解できない)ことにも象徴されます通り、煩雑な言葉というものは、コミュニケーションがうまくいかない、ということです。
言語の経済学からすると、中国語はもっと発音上、発声上、簡略化するのではないかと思いますが。。。
また、教育については、かなり政府からの徹底した圧力がないとなかなかうまく実施できないのではないか、と。。。日本の植民地時代の韓国や台湾、また、文革当時の中共をみるとよくそのあたりの事情が分かるのですが、下地のないところでの文字教育というのはなかなか困難なものです。
ついでに。
あのー、「おしん」なんてものは贅沢だ、わしゃアレ以上に悲惨な生活を送っていた、といったのは、関西芸人の「オクレ」ではないか?と。。。
これは メッセージ 3198 (aqualine2000jp さん)への返信です.
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